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ふるさと

  • ふるさと
3月24日(土) 晴れたり曇ったり 午後からみぞれ一時雪

午前中は日光が出て、窓際にいると温かい週末。

午前中は法事のお勤めが2軒。
両家とも四十九日の法要。

暦の上では立春ながら、2月初旬の吹雪が続いていた時期に亡くなられたのだが、温かい陽射しの中、満中陰となりご先祖様の仲間入りをされた。

お茶をいただき、また昼食をいただきながら、この間にもいろいろあったなぁと話をした。
今年のお雪で、とても納骨ができなくて、これからの納骨の時期とか、どんなふうにご供養をしていくかということも相談する。

それに、去年の今ごろは、ガソリンとか灯油がなかったり、スーパーでもまだ食糧品や日用品の一部が揃ってなかったなぁという話題も。



仏様にお供えしたお料理の折りを頂いてきて、夕食でご馳走になった。
こういうことが普通にできることが、本当にありがたいことなんだと思う。

去年の3月11日以後を経験して、米沢のように被害が少ない地にいても、時には忘れることがあっても、あの日以来間違いなく意識の一部はかわった。

エネルギーの問題、核に対する意識、政治への不信、生きていくための基本的な条件、人との関わり…。


夕刻、浪江町から退去を余儀なくされて、福島市に仮住まいをしている友人から、夜の「NHK特集を観てみて」というメールが来た。


(NHKの映像です)

2万人以上の全町民が避難命令を受けて、各地に仮住まいをしている町民と、「全員帰還」を掲げて町長をはじめ町のすすむべき道を示していることが、時間を経るほど現実とかい離していくという、その苦難と苦渋の選択の現状を報告しているドキュメントであった。

これは…。
絶句である。
まだ、結論は出ていない。
浪江町だけではなくて、多くの福島の被災地を主とした県民が共通に抱える大きな問題だ。


浪江の復興を考える会議で、専門家に示された、放射能による汚染状況の説明で、その被害分布図を示しながら語られた言葉が印象に残った。

「(東電の)原発から出た放射能汚染により、退去を余儀なくなったされたダムの底のような状態と考えてよい」
・・・・・。

町長をはじめとした、ふるさとに帰りたい・帰したいという思いはとてもよくわかる。
けれど、そういう思いだけでは、どうにもならない状況があること。
帰還とは別な方向を決めていかなければならないことなど、厳しい現実を突きつけられているのだ。

番組を見終わって、もう、ちょっとお酒を飲んで寝るしかなかった。



2012.03.25:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

彼岸明け

  • 彼岸明け
3月23日(金) 晴れから曇り やがて雨

いよいよお彼岸も最終日。
わが家では、この日に「ぼた餅」をつくってお供えして食す。
中日にするところが多いようなのだが、せわしないせいか、昔から御帰りのぼた餅と言っている。


あたり鉢に豆を入れてすりこぎ棒でじっくり潰してすって「じんだん」をつくる。
わが家ではこのぐらいの量で充分だ。



いつもは「じんだん」をうっすらと塗るのだけど、ちょっと厚くした^^
昔、京都の本山でぼた餅をいただいた時、その大きさと厚く塗ったあんこにビックリしたものだ。
まぁ、わが家では材料もそんなに潤沢になかったから、控えめなぼた餅になったのかもしれぬが。

お不動さまには白いぼた餅、ご先祖さまには白とじんだんの両方、お地蔵さまにはじんだんとゴマをお供えした。
今年は、あんこをお休みで、ゴメンナサイなのだ。

夕刻電話をいただいた、大先輩で敬愛するUさんとの電話で、「おら家(わが家)でもお帰りぼた餅で、白いぼた餅なんだ。早く帰えんなんねから、何もつけねでいいなだど(笑)」とおっしゃっていた。

その家その家で、いろいろあって調べてみたら面白いもんだろうと思う。




家の掃除で終った一日。
途中、甘納豆の美味しい店に立ち寄りお土産にする物を買ったらお店の方に「車の中で食べておごやい(ください)」と味噌パンをいただいた。
それが、見事なハート形で、ななんだか嬉しい。


いよいよ彼岸明け。

早い年なら福寿草が顔を出す頃でもあるのだが、今年はまだまだ、半月先であろうか。
お陽様の光を反射するようなあの黄色い花が咲きだすのが待ちどおしい。
2012.03.24:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

年度末に

  • 年度末に
3月22日(木) 晴れのち曇り 時々小雨 強風が吹く。

天気予報で言うほど温かくならない、と言うより寒い一日。
ルックチョコの中身が入ったパンなどを、ついつい買い食い(^^;

お~この、人工的なバナナとイチゴとキャラメルとアーモンドの味。
懐かしい。
子どもの頃、ルックチョコレートが食べたくて。
お金が無かったから買えなくて、たま~に貰ったりすると、すごく嬉しかったもんだ。
今年、不二家ルックチョコレートが発売されて50年だそうだ。
まさに、こういったものと育ってきた世代なのだ。
インスタントラーメンもそう^^;

今食べ物については、できるだけ人工的なものが添加されてないもの、自然食品志向になってきている。
これが正解に違いないように思う。

田舎に育ち、自然な食べ物もいっぱい食べてきていることが、むしろ豊かだなと、今だからこそ思えるのだ。



来週、28日に行う「大般若法会」のご案内を持って、町内のお宅を回ってきた。
檀家さんだけでなく、町内の方々の協力を頂いて、毎年開催している。


『当日は、午後1時から法要(ご祈祷)を修します。
 お昼前から来ていただいて、昼食と法話と続きます。
 どなたでも参加いただけますので、どうぞおいで下さいませ。
 お札代としてご志納をお願いいたしております。』




お昼の時間を利用して実家へ。
子どもは、五十日を経過して、だんだんと人の区別がなんとなくつくようになってきている感じ。
妻や義母を見る目と、私を見る目が、どうも違う。
「なんだか変だなぁ」という雰囲気なのだ。
それでも、しばらく私のお腹の上にいたら、熟睡してしまった。

わしぇねでけろよ!(忘れないでね)




夜は、福祉法人の評議員会へ。
あらかじめ送られてきている予算書の金額が、私が普段扱っている数字よりも桁が二つくらい違うもので、頭がクラクラする。
それでも、2年目になって、丁寧な説明を受けてなんとかかんとか理解できるところまでは来ている(かな?!)。

年度末、またこれから会議が多くなるなぁ。




2012.03.23:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

行きつ戻りつ

  • 行きつ戻りつ
3月21日(水) 朝は3センチほどの積雪 あとは晴れたり曇ったり
なにしろ風が冷たいな。

車に積もった雪は3センチ程度だけれど、湿った雪で、ワイパーがグググググッと、途中で止まってしまった。
やはり、3月の雪だ。



風が冷たいながら、陽のあたる南側は雪山の雪がどんどんと消えているのが解る。

それでも、あちらこちらで家屋の軒が壊れたり、倉庫や車庫が壊れたりしているのは、雪が水分で重くなってしまっているからだ。
降ったばかりの雪だとかさが多く見えても、それほどではないのだけれど、今頃の雪は、1立方メートルで、0.5トンを超えることもあるという。
その重さと、軒と雪がつながっている場合は、下に引っ張るチカラで、建物はやられてしまう。




午後に、会議があって松川コミュニティセンターへ。
開館からまる1年、新しくて素敵な施設だ。

内装に、置賜の木を使ってあり、なかなかいい感じなのである。



地元産の木を使って家を建てる、とうのは夢なのだが、公共施設でそういう取り組みがなされるのは意味がある。
自分もいつかそういうことができたらいいな。



そして、cafe Laboratory(東京第一ホテル米沢の向かい側)で開かれている、ウメチギリさんの展示会へ。
センスの良い手づくり感のあるcafeの一角にある、隠れ家的素敵空間で、ウメチギリさんの作品の温かさとよくあっているように思います。

ちなみに22日まで^^


行きつ戻りつ、3月下旬であります。


2012.03.22:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

お彼岸の中日

  • お彼岸の中日
3月20日(火) 春分の日 
朝は晴れていたのだが、だんだん天気が崩れて、雪が降ったりやんだり。
風が冷たい。




お彼岸の中日。
お昼過ぎから、近所の方々が集まって来て、「お念仏」の大きな数珠まわしをしてご先祖さんのご供養を行う。


お彼岸中、中日を挟んで、檀(布施)・戒(持戒)・忍(忍耐)・進(精進)・禅(禅定)・智(智恵)、この六波羅蜜を修行することによって、迷いのない境地に到達しようという意味がある。
それが、こちらから見た彼岸(あちらの岸)ということらしい。

日本では、春と秋の昼夜が同じになるこの時期に、ご先祖様のご供養と結びついた行事として定着してきたのだ。



大きな数珠の真ん中に、頭を取る人が入り、鉦を叩いてリズムをとってリードする。
現在は住職がこの役。
以前は、ご近所の先達がなさっていたものだ。

数珠の大きな玉を母珠(もしゅ)と言って、仏様とみなすのだ。
この玉が回ってきたら、少し上に掲げて拝もします。
「南無阿弥陀仏(♪なむあみなんぶつ)」「♪南無地蔵大菩薩」「一遍南無世と申すには♪」というふうに、小一時間続く。

現在おいでになる方は、全員戦前生まれのお母ちゃん(おばあちゃん?!)たちばかり。
習慣づいていて、ご案内するわけでもないのですが、めいめいおいでになる。昔から続けていることゆえ、当たり前のようになさります。

それ以降(戦後)の年代の方々には、一度、ワークショップのような気持でもよいので、参加なさってはいかがかと思っている。

仏さまのご供養ということだけではない、気づきが得られるように思う。




そのお念仏が終えた頃に、伯父が入所している施設から電話があり、市内の病院へ行った。
今朝から不調を訴えていて、昼になっても回復しないため、救急外来に入って検査を受けていたらしい。

とりあえず、ICUに一晩入ることになった。
意識も言葉もはっきりしているのだけれど、いくつかの検査をしなければならないようだ。
88歳なのだがとても知的な部分の衰えはない人なので、一通り説明を受けて理解できていた。

この病院のこの窓を、3年前の今頃、伯母の入院のために何度見上げたことだろう。
なんだかちょっと切なくなった。

こういうめぐりあわせなんだろうな。
伯父には回復してほしいなと思う。


2012.03.21:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]