7月25日(水) 晴れ時々曇り
昨日のお祭りを終えて、一息ついた。
喉は相変わらず調子が悪くて、急に咳が出だすと止まらなくなってしまう。
今年の冬にぜんそく気味になった時と同じような感じである。
また、かかりつけのS先生のクリニックに行って、早く治した方がよさそうだ。
画像は、相方の実家から戴いたトウモロコシ。
家の畑で収穫したものとのことで、蒸かして食べたら甘くておいしかった。
もう、こんな季節なのだな。
そろそろ梅雨明けなんだろうなぁ。
朝食後に、米沢市街地に近くに住む檀家さんのお宅で、ご法事。
じつは、先日、日曜日に予定されていたのだが、横浜市に住む旦那さんの実弟がお亡くなりになって、延期になっていたのだ。
騒ぎが一段落ついて、家族でご供養をなさることになり、出かけてきたのだ。
久々にお会いして、その間のことをいろいろお話をして帰ってきた。
話しはぜんぜん変わって、わが家のトイレの一つが洋式になりました。
家族の足腰が弱ったり、和式に慣れていない人も多くなりましたので、二つの大便所の一つを洋式の簡易水洗トイレに変えました。
お寺を利用される方も、ちょっと安心いただけるのではないかと思います(^^;
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お地蔵さんのお祭り
7月24日(火) 晴れたり曇ったり
田澤寺の「子易地蔵さま」のお祭り。
なんだか、やっとこの日にたどり着いたという感じである。
ここ数日、忙しかったなぁ(^^;
というわけで、本日も早朝5時30分、神原集落のお地蔵さんに朝のご祈祷でうかがった。
お堂から、川向かいの田んぼの方を眺める。
まだ、朝靄というか雲がたなびいている。
地域の方々とまたご祈祷を行い、シャキッと目が覚めた。
朝からもドタバタと準備を行い、ゆるゆると午前10時過ぎからご祈祷を行い、その後は本日のお楽しみ^^
折原さんの紙芝居!
熱演です!!
子どもさんよりおばあちゃんの方が多かったのですが、皆さんとても喜んでくださった。
オリジナルの大きな紙芝居は「なでら山のサルとおばあちゃん」!!!
お茶を飲みながら、お猿さんによる畑の被害を聴いていた折原さん。
「なんだか皆さんに申し訳なんだけど…、おサルさんのいいお話なんです…」ということで、詳しくは言えませんが…(^^
お猿さんが、除雪機を使っている絵には大爆笑(^0^
折原さんありがとうございました。。。
お昼には手づくりのお膳を。
よっちゃん堂さん、私のリクエスト「あのときのドーナッツ」というお題に応えてくださいました。
私の「あのときの……」は、子どもの頃、限られた材料を使って作ってくれた母のドーナッツ。
それ以上美味しいものでした。
よっちゃん堂さんありがとう^^
お地蔵さんのお祭りは、ゆっくりと夕刻を迎えました。
お手伝いいただいた皆さま、ありがとうごさいました。
田澤寺の「子易地蔵さま」のお祭り。
なんだか、やっとこの日にたどり着いたという感じである。
ここ数日、忙しかったなぁ(^^;
というわけで、本日も早朝5時30分、神原集落のお地蔵さんに朝のご祈祷でうかがった。
お堂から、川向かいの田んぼの方を眺める。
まだ、朝靄というか雲がたなびいている。
地域の方々とまたご祈祷を行い、シャキッと目が覚めた。
朝からもドタバタと準備を行い、ゆるゆると午前10時過ぎからご祈祷を行い、その後は本日のお楽しみ^^
折原さんの紙芝居!
熱演です!!
子どもさんよりおばあちゃんの方が多かったのですが、皆さんとても喜んでくださった。
オリジナルの大きな紙芝居は「なでら山のサルとおばあちゃん」!!!
お茶を飲みながら、お猿さんによる畑の被害を聴いていた折原さん。
「なんだか皆さんに申し訳なんだけど…、おサルさんのいいお話なんです…」ということで、詳しくは言えませんが…(^^
お猿さんが、除雪機を使っている絵には大爆笑(^0^
折原さんありがとうございました。。。
お昼には手づくりのお膳を。
よっちゃん堂さん、私のリクエスト「あのときのドーナッツ」というお題に応えてくださいました。
私の「あのときの……」は、子どもの頃、限られた材料を使って作ってくれた母のドーナッツ。
それ以上美味しいものでした。
よっちゃん堂さんありがとう^^
お地蔵さんのお祭りは、ゆっくりと夕刻を迎えました。
お手伝いいただいた皆さま、ありがとうごさいました。
7月23日(月) 晴れ 一時にわか雨
7月23日(月) 晴れ 夕方一時にわか雨
忙しいと、写真を撮る余裕がない。
この日は夕方に一枚だけ、お堂の写真を撮った。
葬儀の引摂文をようよう書き上げて、ひと眠りしたら、朝! という感じ。
早朝から、車両のお祓いと交通安全祈願である。
世の中は月曜日、出勤前にということで、6時20分。
11時から火葬が執り行われ、13時30分からの葬儀である。
兄妹とごく身近な親族だけの、家族葬というような規模の式であり、導師である私一人で法要を行う。
それゆえ、いろいろと段取りが忙しくなる。
近年は、こういうカタチの葬儀も珍しくない。
家族が少なくなり、親族の輪も小さくなってきている。
亡くなられた方が、現職にあったりすれば別だが、退職してからだとそういった付き合いも少なくなるようである。
これも時代の流れ。
喪主を務められる方と、それぞれよく話し合って、納得のいく形で進める。
昔からこうしていることだから、という部分も大事なこともあるけれど、それも意味合いなどを確認し合うようにしているつもりである。
さて、無事に檀払いまで終えて帰宅。
18時からは、地元の神原集落の地蔵さまのお祭りのご祈祷である。
中1時間ほどあるので、できるだけ、心を切り替えるように務める。
とはいっても、そんなに簡単には行かないものだ。
車で迎えに来ていただいて、お堂で地区役員と当番の隣組衆と共にご祈祷お参り。
終了後に、集会所で直会。
ここで、冷たいビールをいただき、甚だ不調法ではあるが、その美味さで身体のチカラが甦った。
地域の方々と歓談し、20時半に送っていただいて帰宅。
待っていてくれた赤ちゃんと風呂に入り、本日終了なのだった。
忙しいと、写真を撮る余裕がない。
この日は夕方に一枚だけ、お堂の写真を撮った。
葬儀の引摂文をようよう書き上げて、ひと眠りしたら、朝! という感じ。
早朝から、車両のお祓いと交通安全祈願である。
世の中は月曜日、出勤前にということで、6時20分。
11時から火葬が執り行われ、13時30分からの葬儀である。
兄妹とごく身近な親族だけの、家族葬というような規模の式であり、導師である私一人で法要を行う。
それゆえ、いろいろと段取りが忙しくなる。
近年は、こういうカタチの葬儀も珍しくない。
家族が少なくなり、親族の輪も小さくなってきている。
亡くなられた方が、現職にあったりすれば別だが、退職してからだとそういった付き合いも少なくなるようである。
これも時代の流れ。
喪主を務められる方と、それぞれよく話し合って、納得のいく形で進める。
昔からこうしていることだから、という部分も大事なこともあるけれど、それも意味合いなどを確認し合うようにしているつもりである。
さて、無事に檀払いまで終えて帰宅。
18時からは、地元の神原集落の地蔵さまのお祭りのご祈祷である。
中1時間ほどあるので、できるだけ、心を切り替えるように務める。
とはいっても、そんなに簡単には行かないものだ。
車で迎えに来ていただいて、お堂で地区役員と当番の隣組衆と共にご祈祷お参り。
終了後に、集会所で直会。
ここで、冷たいビールをいただき、甚だ不調法ではあるが、その美味さで身体のチカラが甦った。
地域の方々と歓談し、20時半に送っていただいて帰宅。
待っていてくれた赤ちゃんと風呂に入り、本日終了なのだった。
朝から晩まで
7月22日(日) 曇りのち晴れ
夜明けの時間は少しずつ遅くなってきている、とはいうものの、4時半頃には薄明るくなっている。
早起きして、昨日お亡くなりになった方の戒名を考える。
この時間が、こういうことを考えて調べ物をするのには一番落ち着いて、いい時間だと感じる。
直接お会いした時の印象や、ご弟妹さんたちからお聞きしたことなどを思いつつ、一つ一つの漢字を構成してゆく。
筆で紙に書いてみて、これでいいだろうかと、眺めて、再々繰り返すということもあるのだ。
日曜日はだいぶ前から予定が組み込まれるようになった。
7時から、米沢市内のお宅で、屋敷神さまのお祭りのお勤め。
毎年、この時期の日中に行ってきたのだけれど、この日は朝。
おかげさまで、あまり暑くならないうちなので、ご家族ともども、「朝のうちだと暑くなくて良いねぇ、来年からは早い時間にしましょう」なんて、もう気の早いお話になってしまった。
続いて、10時半からは法事とお墓の入魂供養と納骨。
こちらは、だんだん気温が上昇。
墓地で供養と納骨をする頃には、日差しが強くなってきた。
それでも、湿度はかなり高いものの、ガンガンと言う陽射しではなく、ご高齢の参列者もいらっしゃたけれども、無事に終了。
お昼の会食をいただき、14時30分に帰宅。
休憩ののち、夕刻からは車両のお祓いと交通安全祈願。
本日のお勤めは無事に終了である。
涼しくなって、24日のお地蔵さまのお祭り前にしておかなければならなかったこと、廊下の網戸の張り替え!
材料は数日前に準備をしていた。
完全にはがれていた2枚分を貼って終了。
あとは、翌日の葬儀の引摂文を書き上げれば、本日の予定全て終了なのである…が、なんとかチカラの限りを尽くしてできあがり、明日を待つばかりなのである。
夜明けの時間は少しずつ遅くなってきている、とはいうものの、4時半頃には薄明るくなっている。
早起きして、昨日お亡くなりになった方の戒名を考える。
この時間が、こういうことを考えて調べ物をするのには一番落ち着いて、いい時間だと感じる。
直接お会いした時の印象や、ご弟妹さんたちからお聞きしたことなどを思いつつ、一つ一つの漢字を構成してゆく。
筆で紙に書いてみて、これでいいだろうかと、眺めて、再々繰り返すということもあるのだ。
日曜日はだいぶ前から予定が組み込まれるようになった。
7時から、米沢市内のお宅で、屋敷神さまのお祭りのお勤め。
毎年、この時期の日中に行ってきたのだけれど、この日は朝。
おかげさまで、あまり暑くならないうちなので、ご家族ともども、「朝のうちだと暑くなくて良いねぇ、来年からは早い時間にしましょう」なんて、もう気の早いお話になってしまった。
続いて、10時半からは法事とお墓の入魂供養と納骨。
こちらは、だんだん気温が上昇。
墓地で供養と納骨をする頃には、日差しが強くなってきた。
それでも、湿度はかなり高いものの、ガンガンと言う陽射しではなく、ご高齢の参列者もいらっしゃたけれども、無事に終了。
お昼の会食をいただき、14時30分に帰宅。
休憩ののち、夕刻からは車両のお祓いと交通安全祈願。
本日のお勤めは無事に終了である。
涼しくなって、24日のお地蔵さまのお祭り前にしておかなければならなかったこと、廊下の網戸の張り替え!
材料は数日前に準備をしていた。
完全にはがれていた2枚分を貼って終了。
あとは、翌日の葬儀の引摂文を書き上げれば、本日の予定全て終了なのである…が、なんとかチカラの限りを尽くしてできあがり、明日を待つばかりなのである。
「草木塔との語らい」 2012 当日 ②
ということで、午前中は塩地平~大明神~神原~上中原と見学をして、田沢コミセンに戻り、記念撮影をしてからお楽しみの昼食。
今年は、いつもよりも年齢層が高いような感じ(^^;
参加者に食べていただくのは「ばんだい餅」。
実演つきです。
「ばんだい餅」は、昔、山に小屋を掛けて、何人かの組で一週間ほど山にこもって木を伐っていた頃、休みにする時など炊いたご飯を木の切り株の上などでついて、餅状にして、納豆をつけたりお汁に入れて食べたものだそうだ。
お昼に出たのはこれ。
くるみ・胡麻味噌、きな粉の二種類に、漬物と蕗煮で一人前。
山菜汁が付いとります。
昔は、こんなに豪華じゃなかったでしょうね^^;
草木塔祈願祭でお供えしたのもこれと同じです。
そして13時半から、星 寛治さんの講演。
講演だけを聴きに来る人も相当数おり、結局60人ほどの参加者になった。
開始から30分ほど、3.11を境にした価値観の変化や近年の気象以上などについて、氏の静かな語り口ながら現代の抱える問題点などの話題に引き込まれていたときに、なんと、家から(寺から)呼び出しの電話あり。
簗沢のお寺の檀家の方が亡くなられたとのこと。
いろんな意味で残念なのだが、寺に戻り、準備をして出かけた。
葬儀屋さんの通夜場で枕経のご供養をして、檀家さまと相談と打ち合わせを行う。
日程の都合上、23日に火葬と葬儀を営むこととなった。
17時半頃、再び会場に戻ると、講演・総会・交流会と予定通りに無事に進行して終了とのこと。
あとは、会場を片づけ、スタッフで反省会を行って全日程を終えた。
参加いただいた方々や講師を務めてくださった星さん、多くのスタッフの協力があって今年もなし得た事業。
「草木塔のことをもっと知りたい、もっと広く伝えたい」という思いは伝わっただろうか。
今年は、いつもよりも年齢層が高いような感じ(^^;
参加者に食べていただくのは「ばんだい餅」。
実演つきです。
「ばんだい餅」は、昔、山に小屋を掛けて、何人かの組で一週間ほど山にこもって木を伐っていた頃、休みにする時など炊いたご飯を木の切り株の上などでついて、餅状にして、納豆をつけたりお汁に入れて食べたものだそうだ。
お昼に出たのはこれ。
くるみ・胡麻味噌、きな粉の二種類に、漬物と蕗煮で一人前。
山菜汁が付いとります。
昔は、こんなに豪華じゃなかったでしょうね^^;
草木塔祈願祭でお供えしたのもこれと同じです。
そして13時半から、星 寛治さんの講演。
講演だけを聴きに来る人も相当数おり、結局60人ほどの参加者になった。
開始から30分ほど、3.11を境にした価値観の変化や近年の気象以上などについて、氏の静かな語り口ながら現代の抱える問題点などの話題に引き込まれていたときに、なんと、家から(寺から)呼び出しの電話あり。
簗沢のお寺の檀家の方が亡くなられたとのこと。
いろんな意味で残念なのだが、寺に戻り、準備をして出かけた。
葬儀屋さんの通夜場で枕経のご供養をして、檀家さまと相談と打ち合わせを行う。
日程の都合上、23日に火葬と葬儀を営むこととなった。
17時半頃、再び会場に戻ると、講演・総会・交流会と予定通りに無事に進行して終了とのこと。
あとは、会場を片づけ、スタッフで反省会を行って全日程を終えた。
参加いただいた方々や講師を務めてくださった星さん、多くのスタッフの協力があって今年もなし得た事業。
「草木塔のことをもっと知りたい、もっと広く伝えたい」という思いは伝わっただろうか。