曇り空で、時折雨が降るという天気が続いている。
肌寒いようでちょっと作業をすると、肌が汗ばんでくるというような微妙な気候である。
火曜日の午後から用あって飯豊町の中津川まで行ってきた。
飯豊町にも多くの草木塔(草木供養塔)が建てられており、田沢地区とは遠いようで、じつは山つながりのとても近い関係にあるのだ。それだけ、飯豊町が広いということでもある。
一つ一つの沢が深いので、昔は嶺越えで往き来していたのだろう。
今も林道でつながってはいるが、自動車では県道などに出たりしながら大きく廻ってそれぞれの沢に入る。
中津川には22~23の草木塔が建っている。
田沢や玉庭よりもすこし遅れて建っており、明治・大正・昭和・平成とそれぞれに時代に建てられてきているのが特徴であり、現代の新しい草木塔も多い。
そのあたりの経過や地域の背景を知りたいと思い、中津川の公民館へうかがったら、職員の方が親切に対応して下さって、情報を得ることができた。
行きは玉庭を経由して、帰りは 手ノ子の方へちょっと遠回りした。
夏場、白川ダムはどのぐらいまで水位が下がったのだろうか、見当がつかぬが、雨が降った後でもこのぐらいだから、そうとう下がったのだろうなぁ。
先週末に、小学校の先生がわざわざ社会科見学のお礼のお手紙を持って来てくださった。
一人ひとりが書いた手紙が貼ってあり、有り難く面白く読ませていただいた。
女の子が、「あかちゃんをたいせつにそだててください」という文章を書いてくれていた(^^
考えてみると、小学1・2年生って、娘もあと6~7年経つとあぁなるわけで、ほんとにすごい成長なんだなぁと感心してしまう。
小学校の皆さん、心温まるお便り、ありがとうございました。
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10月1日
月曜日は久々にほぼ一日休養日になった。
通常のお寺お勤めと、日常の業務以外の約束がない。
台風は、夜中に雨風の音がちょっと強くなったなぁ、という程度で、早朝にテレビで確認したら、本州の青森から北海道に抜ける位置であった。
米沢近辺、このあたりはほとんど被害らしい被害はなく、幸いであった。
けれど、周囲の田んぼを見ると、やはり、稲が倒れてしまっているところがあちらこちらに見え、ぜんぜん被害が無いわけじゃないんだと感じる。
昨夕慌てて畑から採った秘伝をもぎ、早速茹でて食べたら、なかなか甘さがあってちょと良かった。
数日放置していたら、過熟気味になっていたかもしれぬ。
さて、10月1日。
衣更えの季節でもありますね。
私服は曖昧なのですが、学校の制服とかはちゃんと替わりますよね。
それに、我々の衣もまさに衣更え(^^;
夏の衣から、合用の衣に。
それに食べ物が美味しい季節でありますね。
まだ、新蕎麦は出ませんが、長井の八寸さんの蕎麦は美味しい。
板そばにゲソ天を、いただきました。
それより、子どもがちょうど満8ヶ月。
そろそろ、住まいのあちらこちらの娘対策(^^;を講じなくちゃ。
ということで、足を伸ばして、山形のベビー用品のお店へ。
結局、米沢にあるものとあまり変わりばえが無く、方針変換。
連れ合いの山形の友人宅を訪問。
元気で、新生活を楽しんでいること、お部屋に無駄なものがないことに感心し帰ってきた。
火曜日もいくつかの約束があるものの、基本的にお休み。
田沢コミセンへ行ったら薪を売っていた。
これは、ストーブ用の火持ちの良いナラなどの良質の薪。
コンビニなどで、今盛んに売っているそっぺ板を割ったような薪とは違うのだ。
けれど、これだと違いが判らないかもなぁ、などと余計な心配をしつつ帰って来たのでした。
通常のお寺お勤めと、日常の業務以外の約束がない。
台風は、夜中に雨風の音がちょっと強くなったなぁ、という程度で、早朝にテレビで確認したら、本州の青森から北海道に抜ける位置であった。
米沢近辺、このあたりはほとんど被害らしい被害はなく、幸いであった。
けれど、周囲の田んぼを見ると、やはり、稲が倒れてしまっているところがあちらこちらに見え、ぜんぜん被害が無いわけじゃないんだと感じる。
昨夕慌てて畑から採った秘伝をもぎ、早速茹でて食べたら、なかなか甘さがあってちょと良かった。
数日放置していたら、過熟気味になっていたかもしれぬ。
さて、10月1日。
衣更えの季節でもありますね。
私服は曖昧なのですが、学校の制服とかはちゃんと替わりますよね。
それに、我々の衣もまさに衣更え(^^;
夏の衣から、合用の衣に。
それに食べ物が美味しい季節でありますね。
まだ、新蕎麦は出ませんが、長井の八寸さんの蕎麦は美味しい。
板そばにゲソ天を、いただきました。
それより、子どもがちょうど満8ヶ月。
そろそろ、住まいのあちらこちらの娘対策(^^;を講じなくちゃ。
ということで、足を伸ばして、山形のベビー用品のお店へ。
結局、米沢にあるものとあまり変わりばえが無く、方針変換。
連れ合いの山形の友人宅を訪問。
元気で、新生活を楽しんでいること、お部屋に無駄なものがないことに感心し帰ってきた。
火曜日もいくつかの約束があるものの、基本的にお休み。
田沢コミセンへ行ったら薪を売っていた。
これは、ストーブ用の火持ちの良いナラなどの良質の薪。
コンビニなどで、今盛んに売っているそっぺ板を割ったような薪とは違うのだ。
けれど、これだと違いが判らないかもなぁ、などと余計な心配をしつつ帰って来たのでした。
なせばなる…
土曜日に行われた「なせばなる秋まつり」の『草木塔祭』の画像をいただいたのでアップします。
この週は、この準備に少々時間を割いて、ぶっつけ本番にもかかわらず先達各師の力量もあり、なんとかカタチになってほんとによかった。
終了して、心身とも軽くなったような感じである。
のんびりしたいところではあるが、日曜日はここのところ毎週法事が入っており、なかなかそうはいかぬ。
今週は、代理を務めている隣の地区のお寺でのご法事。
もともと米沢の人ではあるのだが、現在は横浜や藤沢などその近辺に住んでいる方々ばかり20人ほどの法要であった。
むしろ、私が向こうへ行ってお経をお上げした方が良いぐらいなのかもしれないのだが、そこはやはりふるさとのお寺とお墓に参りたいという思いがおありになる。
お寺の東側に広がる、黄金色の田んぼの風景や涼しげな風を喜んでおられた。
その中にお一人、車いすでヘルパーさんの付き添いでおいでになった女性がいらっしゃいました。
この日のご法事に当たる方の娘さんらしく、若いうちに脳内出血で不自由になられた由。
新幹線とタクシーを使ってここまで来られた。
そこまでして来たいという想い、永年 故郷を離れて暮してきた人が持つ強い思いなのだろう。
台風が近づきつつあるという予報ながら、お墓参りまで無事に終了することができてなによりであった。
日曜日は、夕刻まで何とかお天気も保ち、「なせばなる秋まつり」も無事に終了したことであろう。
わが家には、娘と同じ誕生日のYくんを連れて友人夫妻がやってきた。
今 娘のマイブームになっている、赤ちゃん用せんべいを二人に預けた。
Yくんはいつも小割りにしてもらっているらしく、一枚をそのまま食べるのに慣れていない。 娘は、「こうしてたべるのよ!」というような得意顔でYくんを見て食べているので、かなり面白い。
ちなみに、Yくんはしっかり這い這いができて、つかまり立ちもできるようになっていて、体も一回り大きい、立派な8ヶ月児(^^
同じ誕生日の二人、これから会う機会の度にこんなふうで、おもしゃいだろうなぁ。
この週は、この準備に少々時間を割いて、ぶっつけ本番にもかかわらず先達各師の力量もあり、なんとかカタチになってほんとによかった。
終了して、心身とも軽くなったような感じである。
のんびりしたいところではあるが、日曜日はここのところ毎週法事が入っており、なかなかそうはいかぬ。
今週は、代理を務めている隣の地区のお寺でのご法事。
もともと米沢の人ではあるのだが、現在は横浜や藤沢などその近辺に住んでいる方々ばかり20人ほどの法要であった。
むしろ、私が向こうへ行ってお経をお上げした方が良いぐらいなのかもしれないのだが、そこはやはりふるさとのお寺とお墓に参りたいという思いがおありになる。
お寺の東側に広がる、黄金色の田んぼの風景や涼しげな風を喜んでおられた。
その中にお一人、車いすでヘルパーさんの付き添いでおいでになった女性がいらっしゃいました。
この日のご法事に当たる方の娘さんらしく、若いうちに脳内出血で不自由になられた由。
新幹線とタクシーを使ってここまで来られた。
そこまでして来たいという想い、永年 故郷を離れて暮してきた人が持つ強い思いなのだろう。
台風が近づきつつあるという予報ながら、お墓参りまで無事に終了することができてなによりであった。
日曜日は、夕刻まで何とかお天気も保ち、「なせばなる秋まつり」も無事に終了したことであろう。
わが家には、娘と同じ誕生日のYくんを連れて友人夫妻がやってきた。
今 娘のマイブームになっている、赤ちゃん用せんべいを二人に預けた。
Yくんはいつも小割りにしてもらっているらしく、一枚をそのまま食べるのに慣れていない。 娘は、「こうしてたべるのよ!」というような得意顔でYくんを見て食べているので、かなり面白い。
ちなみに、Yくんはしっかり這い這いができて、つかまり立ちもできるようになっていて、体も一回り大きい、立派な8ヶ月児(^^
同じ誕生日の二人、これから会う機会の度にこんなふうで、おもしゃいだろうなぁ。
草木塔祭
週末、米沢市が開催する「なせばなる秋まつり」が、伝国の杜周辺を主会場にいろんな催し物が開催されることになっていた。
早朝小雨が降ったらしく家の前の市道が濡れていた。
曇りながら、どうやら一日こんなかんじの天気らしい。
そのお祭りの中で「草木塔祭」を実施するという企画があり、協力することになって準備を進めてきた。
今週はそれにけっこうな時間を裂いて、今回協力をお願いした敬愛する私の先輩各師3人と連絡調整し、あとは本番を待つばかり。
なにしろ、主催の担当者さん達も初めてだから、こちらも相談しながらイメージを膨らませて、それを共有するように務めて、ぶっつけ本番である。
それだけのスキルを持った方々ばかりで、その点あまり心配はない。
お祭りで使うヒバを、お寺の前にある家の前のヒバの葉っぱを採る手伝いを頼んだ友人Sくんが、「どうせこのぐらいだべがら」と、自分の家のを切って持って来てくれた。なんて気がきくんだろう。おしょうしな!
10時に会場に着くと、野趣あふれる花を!というお願いをしていた、私の連れ合いの花の師匠でもあるYさんがすでに到着し、いい雰囲気に活けてくださっていた。「笹野花も使ってほしい」という無茶な希望もちゃんと叶えてくださった。
おしょうしなっし。
そして、先輩諸師が順々に到着。
会場のイメージをそれぞれ膨らまし、臨機応変に荘厳してゆく。
誰かが忘れものをしたり、私が準備していったものがしょぼかったりすると、さっさと切り替えてカタチにしてゆく。
これは、ある意味では山伏の真骨頂かもしれぬ。
そこにあるもので、ちゃっちゃっと形づくっていくこと、見事だった。
開始時間の正午の、30分前に準備完了。
思いのほか人も集まり、祈願祭は無事に終了。
写真を撮る暇もなかった。
画像は終了後、おおかた片づけを終えた会場。
来年もあるかどうかは判らぬが、お祭りのイメージはつかめた。
出来るかぎり、木や植物を使った道具用い、会場の統一感を出したかった。
会場の雰囲気もあり、ある程度は成功したように思う。
地元田沢の人が中心で、おいたま草木塔の会の方々による「ばんだい餅」の実演と振る舞いも行われた。
草木塔祭は、あまり特定の宗教色を押し出すのはどうなのだろうと思う面と、やはり建立に関わったと考えられる山伏の儀式的な要素があってもよいのかな、という両方の想いがあり、どちらの要素もあってよいとも思える。
来年はどうなるかは判らぬが、なんとか多くの方々と協力して、草木塔に込められた魂というようなものを、多少なりとも伝えることができたのではないかと思うのだが、どうだろうか。
早朝小雨が降ったらしく家の前の市道が濡れていた。
曇りながら、どうやら一日こんなかんじの天気らしい。
そのお祭りの中で「草木塔祭」を実施するという企画があり、協力することになって準備を進めてきた。
今週はそれにけっこうな時間を裂いて、今回協力をお願いした敬愛する私の先輩各師3人と連絡調整し、あとは本番を待つばかり。
なにしろ、主催の担当者さん達も初めてだから、こちらも相談しながらイメージを膨らませて、それを共有するように務めて、ぶっつけ本番である。
それだけのスキルを持った方々ばかりで、その点あまり心配はない。
お祭りで使うヒバを、お寺の前にある家の前のヒバの葉っぱを採る手伝いを頼んだ友人Sくんが、「どうせこのぐらいだべがら」と、自分の家のを切って持って来てくれた。なんて気がきくんだろう。おしょうしな!
10時に会場に着くと、野趣あふれる花を!というお願いをしていた、私の連れ合いの花の師匠でもあるYさんがすでに到着し、いい雰囲気に活けてくださっていた。「笹野花も使ってほしい」という無茶な希望もちゃんと叶えてくださった。
おしょうしなっし。
そして、先輩諸師が順々に到着。
会場のイメージをそれぞれ膨らまし、臨機応変に荘厳してゆく。
誰かが忘れものをしたり、私が準備していったものがしょぼかったりすると、さっさと切り替えてカタチにしてゆく。
これは、ある意味では山伏の真骨頂かもしれぬ。
そこにあるもので、ちゃっちゃっと形づくっていくこと、見事だった。
開始時間の正午の、30分前に準備完了。
思いのほか人も集まり、祈願祭は無事に終了。
写真を撮る暇もなかった。
画像は終了後、おおかた片づけを終えた会場。
来年もあるかどうかは判らぬが、お祭りのイメージはつかめた。
出来るかぎり、木や植物を使った道具用い、会場の統一感を出したかった。
会場の雰囲気もあり、ある程度は成功したように思う。
地元田沢の人が中心で、おいたま草木塔の会の方々による「ばんだい餅」の実演と振る舞いも行われた。
草木塔祭は、あまり特定の宗教色を押し出すのはどうなのだろうと思う面と、やはり建立に関わったと考えられる山伏の儀式的な要素があってもよいのかな、という両方の想いがあり、どちらの要素もあってよいとも思える。
来年はどうなるかは判らぬが、なんとか多くの方々と協力して、草木塔に込められた魂というようなものを、多少なりとも伝えることができたのではないかと思うのだが、どうだろうか。
慰霊と供養
曇天で霧雨と小雨の中間ぐらいの雨の一日。
稲刈りも一休み、なかなかはかどらない様子である。
そんな金曜日、昼前に車で山形市へ向った。
時折ワイパーを動かしながらウインドーについた雨を除けるというような小雨。
国道13号の新しくできた岩部山トンネルを抜けたら、曇天ではあるものの、明るく、雨は落ちていない。
上山市から山形市へ入ってもそんな感じ。
置賜方面を見ると雲がどんよりしているのが判る。
山形大学の医学部で慰霊祭に出席するためである。
私の叔母が、平成21年9月に亡くなり、かねてより献体を希望していたため、その希望に沿って山形大学に預けられていた。
今年の春以降に、学生の解剖実習のために役立てられたらしく、慰霊祭のご案内をいただき、横浜に住む孫夫婦と共に参列してきたのである。
医学部の体育館において、医学部の教職員と学生、多くの来賓、今年学生の実習に役立ち文部科学大臣から感謝状をいただく遺族の方々、おそらく過去に遡ってご案内されていることだろうと思われ、その奥のご遺族の方々、それに献体登録をなさっている方々など、相当多くの参列者で体育館はいっぱいであった。
予想通り宗教色はまったくなく、感謝状伝達式の後、式辞と挨拶、お礼の言葉等があって、最後に参列者全員が白い菊の花を檀前に献花をして終了した。
檀の上には、「献身無窮」という文字が書かれた板が掲げられている。
どういう意味なのであろうか。
献身はまさに身を捧げるという意味、無窮とは終わりなき、とか永遠ということのようなので、献身(的な心は)は永遠である、というようなことになるのであろうか。
遺骨を受け取り、夕刻にお寺に帰着してご供養のお経を読誦し、陽が落ちる寸前に墓地に行き納骨を終えた。
終えた頃には、周囲は夕闇に包まれていた。
伯母はお墓で、娘の遺骨と一緒になった。
なんだかむやみに切なくて、涙が流れる。
いとこが49歳で亡くなってから約10年、伯母が亡くなってからも丸3年もたっているのになぜなんだろう…。
慰霊祭ではそういった感情はまったく出てこなかったのに。
慰霊祭とご供養というものは全く違うものだ。
若い孫夫婦に供養をしてもらい、社会的には感謝をされて、その死を慰められたのだから、伯母の願いどおりになった、そう納得するべきなのだろう。
稲刈りも一休み、なかなかはかどらない様子である。
そんな金曜日、昼前に車で山形市へ向った。
時折ワイパーを動かしながらウインドーについた雨を除けるというような小雨。
国道13号の新しくできた岩部山トンネルを抜けたら、曇天ではあるものの、明るく、雨は落ちていない。
上山市から山形市へ入ってもそんな感じ。
置賜方面を見ると雲がどんよりしているのが判る。
山形大学の医学部で慰霊祭に出席するためである。
私の叔母が、平成21年9月に亡くなり、かねてより献体を希望していたため、その希望に沿って山形大学に預けられていた。
今年の春以降に、学生の解剖実習のために役立てられたらしく、慰霊祭のご案内をいただき、横浜に住む孫夫婦と共に参列してきたのである。
医学部の体育館において、医学部の教職員と学生、多くの来賓、今年学生の実習に役立ち文部科学大臣から感謝状をいただく遺族の方々、おそらく過去に遡ってご案内されていることだろうと思われ、その奥のご遺族の方々、それに献体登録をなさっている方々など、相当多くの参列者で体育館はいっぱいであった。
予想通り宗教色はまったくなく、感謝状伝達式の後、式辞と挨拶、お礼の言葉等があって、最後に参列者全員が白い菊の花を檀前に献花をして終了した。
檀の上には、「献身無窮」という文字が書かれた板が掲げられている。
どういう意味なのであろうか。
献身はまさに身を捧げるという意味、無窮とは終わりなき、とか永遠ということのようなので、献身(的な心は)は永遠である、というようなことになるのであろうか。
遺骨を受け取り、夕刻にお寺に帰着してご供養のお経を読誦し、陽が落ちる寸前に墓地に行き納骨を終えた。
終えた頃には、周囲は夕闇に包まれていた。
伯母はお墓で、娘の遺骨と一緒になった。
なんだかむやみに切なくて、涙が流れる。
いとこが49歳で亡くなってから約10年、伯母が亡くなってからも丸3年もたっているのになぜなんだろう…。
慰霊祭ではそういった感情はまったく出てこなかったのに。
慰霊祭とご供養というものは全く違うものだ。
若い孫夫婦に供養をしてもらい、社会的には感謝をされて、その死を慰められたのだから、伯母の願いどおりになった、そう納得するべきなのだろう。