簗沢地区のランドマーク、戸倉山も色づいてきた。
その山の麓の道路を真っすぐ行くと、綱木川ダムのダムサイトへ行く。
この日、30日は法事のため、隣の地区の檀家さんのお宅へうかがった。
ダムができたせいで道路はよいが、集落からは人が引っ越して行き、数軒の家が残るのみになった。
すでに集落としての機能はないに等しい。
けれども、この地に住んでいることに矜持を持っておられることがよくわかる。
こちら田沢地区は、ダムはないが、国道の改修に伴うように峠に近い方から過疎化し、すでに消滅した集落があり、集落としての機能を失った地域があり、そうなりつつある集落がだんだんと米沢市街に近い方へ迫りつつある。
午後は、米沢市内のセレモニーホールで営まれる、お葬式に参列。
小中学校の同級生とのお別れだ。
その同級の女性とは、最近は時々顔を合わせる程度で、よく話す機会がなかったのだが、お盆過ぎに体調を崩してからわずか2ヶ月ほどで亡くなったとのことだった。
お葬式後に顔を合わせた数人の同級生も、お互いに信じられないという思いと、身につまされる想いであること、共通した感覚であった。
ご家族に恵まれ、孫も二人いるという、彼女の遺影はとても良い顔をしていた。
合掌
帰宅してから畑に残っていたものを収穫して、間もなく日没となった。
自分は、自分の身体や命はどうなんだろう。
ぼんやりと、考えてもしようがないことを思ってしまう。
こちらは、孫みたいな小さな娘を持つ身で、何かあったら…、これもまぁ思ってどうなるものじゃない。
なるようにしかならない。
今ある命、こうして元気でモリモリ食って元気でいられることに感謝し、過信せずに過ごそう、そう思う。
合掌
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せつないきもち
ようやく、漸く 植菌して裏の林の中に転がして置いているナメコが出てきた。
秋めいてきたといっても、まだ強い霜が降りていないし、例年よりも暖かいのかもしれない。
さて、月曜日(29日)は大安なのではありますが、悲喜こもごも、いろいろあります。
当たり前のことですけどね、暦の日が好いからいいことがある、というわけじゃないんだけれど、なんとなく好日のように思っちゃいます。
さて、朝は古い建物を解体するにあたり、奉謝祈願という、ご祈祷があり、大安で好かろうというわけで、口田沢地内の旧家に出向いてお勤めさせていただいた。
母屋はすでに新築されているのだけれど、奥座敷とそこに続く建物と味噌小屋、それに物置小屋である。
冬季間の管理がたいへんになっておられ、降雪を前に意を決して、解体なさるということ。
母が、猿たちが裏に来て栗を食っていく、と言う。
畑にはもう白菜ぐらいしかないので、残っているキャベツとスティックブロッコリーを収穫しておいて、あとはもうしかたがない。
そして、午前中は先輩F師のお寺の檀家さまの葬儀があり、伴僧のお勤め。
式場にて、お亡くなりになられた方の遺影に手を合わせ、よくよく見ると、コミセン時代に事業の関係でお世話になったことがある方だった。
数年前のことで、お名前もお聞きしていなかったこともあり、こんなかたちで再会することになるとは。
合掌
人の命は今日ありて、明日ある保証はない。
日々生きていることに感謝し、過ごしているのではあるが…。
友人より電話があり、同級生の訃報。
お盆過ぎに体調を崩して、難病に罹っていることがわかり、ほぼ2ヶ月であったとのこと。
せつないものである。
合掌
秋めいてきたといっても、まだ強い霜が降りていないし、例年よりも暖かいのかもしれない。
さて、月曜日(29日)は大安なのではありますが、悲喜こもごも、いろいろあります。
当たり前のことですけどね、暦の日が好いからいいことがある、というわけじゃないんだけれど、なんとなく好日のように思っちゃいます。
さて、朝は古い建物を解体するにあたり、奉謝祈願という、ご祈祷があり、大安で好かろうというわけで、口田沢地内の旧家に出向いてお勤めさせていただいた。
母屋はすでに新築されているのだけれど、奥座敷とそこに続く建物と味噌小屋、それに物置小屋である。
冬季間の管理がたいへんになっておられ、降雪を前に意を決して、解体なさるということ。
母が、猿たちが裏に来て栗を食っていく、と言う。
畑にはもう白菜ぐらいしかないので、残っているキャベツとスティックブロッコリーを収穫しておいて、あとはもうしかたがない。
そして、午前中は先輩F師のお寺の檀家さまの葬儀があり、伴僧のお勤め。
式場にて、お亡くなりになられた方の遺影に手を合わせ、よくよく見ると、コミセン時代に事業の関係でお世話になったことがある方だった。
数年前のことで、お名前もお聞きしていなかったこともあり、こんなかたちで再会することになるとは。
合掌
人の命は今日ありて、明日ある保証はない。
日々生きていることに感謝し、過ごしているのではあるが…。
友人より電話があり、同級生の訃報。
お盆過ぎに体調を崩して、難病に罹っていることがわかり、ほぼ2ヶ月であったとのこと。
せつないものである。
合掌
ずいぶん急なことで
怪しげな空模様の日曜日(28日)「木魂祭」は裏庭に作った野外ステージがイベントのメイン会場になるので、お天気はかなり心配。
今年は、小学校の体育館が耐震補強工事中のため、雨でも外でということになる。
この日も朝から、ご祈祷 → 法事というパターンで、申し訳ないが今年はゴメンナサイなのだ。
夕刻には、屋敷と家の神様の移動の軒で現場を見させてもらう。
午前中はなんとか時折ポツリとくる程度か?!
お寺の裏のエドヒガンザクラが紅葉して、黄色っぽく、花が咲いているように見えなくもない。
お猿さんたちは、ちょこちょこやって来て栗を食っていっているようだ。
法要を終えて、やや遅い食事をしていると、コミセンからちょっと呼び出し。
木魂祭のついでに、地元ケーブルテレビの企画番組の収録をしているらしく、草木塔についてするからすぐ来いということであった。
毎度のことながら、急である。
ご飯を噛みながら行くと、上中原の国道端にある草木塔前で直ちに収録。
何しろ雨が降っているし、とにかくすぐなのである。
地元のリポーター役の人(よく知ってる人^^;)に聞かれたことを、つっかかりつっかかり答えて、終了(・_・;
急なんだからしょうがない、あとは、テレビ局の編集で何とかしてください。
今年は、小学校の体育館が耐震補強工事中のため、雨でも外でということになる。
この日も朝から、ご祈祷 → 法事というパターンで、申し訳ないが今年はゴメンナサイなのだ。
夕刻には、屋敷と家の神様の移動の軒で現場を見させてもらう。
午前中はなんとか時折ポツリとくる程度か?!
お寺の裏のエドヒガンザクラが紅葉して、黄色っぽく、花が咲いているように見えなくもない。
お猿さんたちは、ちょこちょこやって来て栗を食っていっているようだ。
法要を終えて、やや遅い食事をしていると、コミセンからちょっと呼び出し。
木魂祭のついでに、地元ケーブルテレビの企画番組の収録をしているらしく、草木塔についてするからすぐ来いということであった。
毎度のことながら、急である。
ご飯を噛みながら行くと、上中原の国道端にある草木塔前で直ちに収録。
何しろ雨が降っているし、とにかくすぐなのである。
地元のリポーター役の人(よく知ってる人^^;)に聞かれたことを、つっかかりつっかかり答えて、終了(・_・;
急なんだからしょうがない、あとは、テレビ局の編集で何とかしてください。
せめてお天気は…
繁忙する土曜日、早朝から車の交通安全祈願から始まりました。
そして、地元の田沢コミセンで開催される田沢地区文化祭「木魂祭」が、土・日曜日と開催され実行委員になっているので、準備やらいろいろとお手伝いしなければならないのだけれど、何しろお寺の日程が立て込んでしまっており、ほとんど何もできない状態なのである。
今年は、若干の協賛をするだけで、ゴメンナサイ、なのだ(-_-;
土曜日はなんとかお天気がもちそうな気配で、まずはよかった。
午前中は法事があり、檀家さんのお宅でご供養させていただいた。
広間に法事の檀を組み、十三佛の掛け軸をかけて準備なさっていた。
年忌供養は昔からこうした檀を構えて法要を行うことが多かったものだ。
最近では住宅の事情もあったり、略して仏壇でご供養といことが多くなっているのは、いたしかたないことではあるけれど、こうして改めて見ると、お供え物を上げたりするスペースや、お招きするお客様に焼香していたくこと、日常とはちょっと異なるしつらえをすることによって、気持ちも改まるように感じる。
午後からは、屋敷神さまのお祭りのお勤めをさせていただいて、土曜日は終了。
ご祈祷を終えてから、「まず、一杯いいごでぇ」と言われて、夕刻でもあるし…というわけで、一献 遠慮なしにご馳走になってしまった。
画像は、遠野のズモナビール最後の一種類で、アルトビール。
これは、黒ビールのような味わいで、なかなかである。
木魂祭のメインは日曜日。
晴れるといいなぁと思うのだが、どうやらお天気は下り坂のようであったなぁ。
そして、地元の田沢コミセンで開催される田沢地区文化祭「木魂祭」が、土・日曜日と開催され実行委員になっているので、準備やらいろいろとお手伝いしなければならないのだけれど、何しろお寺の日程が立て込んでしまっており、ほとんど何もできない状態なのである。
今年は、若干の協賛をするだけで、ゴメンナサイ、なのだ(-_-;
土曜日はなんとかお天気がもちそうな気配で、まずはよかった。
午前中は法事があり、檀家さんのお宅でご供養させていただいた。
広間に法事の檀を組み、十三佛の掛け軸をかけて準備なさっていた。
年忌供養は昔からこうした檀を構えて法要を行うことが多かったものだ。
最近では住宅の事情もあったり、略して仏壇でご供養といことが多くなっているのは、いたしかたないことではあるけれど、こうして改めて見ると、お供え物を上げたりするスペースや、お招きするお客様に焼香していたくこと、日常とはちょっと異なるしつらえをすることによって、気持ちも改まるように感じる。
午後からは、屋敷神さまのお祭りのお勤めをさせていただいて、土曜日は終了。
ご祈祷を終えてから、「まず、一杯いいごでぇ」と言われて、夕刻でもあるし…というわけで、一献 遠慮なしにご馳走になってしまった。
画像は、遠野のズモナビール最後の一種類で、アルトビール。
これは、黒ビールのような味わいで、なかなかである。
木魂祭のメインは日曜日。
晴れるといいなぁと思うのだが、どうやらお天気は下り坂のようであったなぁ。
50年の節目
これは、遠野の地ビール「ズモナビールのヴァイツェン」。
思ったほどくせはなく、ゴールデンピルスナーより飲み応えがあってよいかも。
遠野の地ビール4種を買ってきて、330mlを毎日一本づつと言う、まぁまぁささやかな晩酌であるのだが、地ビールと言うだけで、楽しめるのが良いではないか。
さて、26日 金曜日。
午前中に、米沢市街にあるお宅で屋敷神さまのお祭りをお勤めさせていただき、お昼からは米沢市市民憲章制定50周年記念の行事があり、この日は一日それで終わる予定である。
昨年、実行委員会が組織されて、私もその一人で会議にも出席してきたのだが、今年の夏以降は日中の会議に出席する余裕がなくなってしまっていた。
なんとか、当日の時間だけは確保して出席とできるお手伝いをするということに。
日程は、まず、13時半から毎年開催している「市民憲章推進大会」を文化センターで開催。
その後、ホテルサンルートに会場を移動して、16時40分から50周年記念式典。約2時間の式典を終えてから、同じ会場で祝賀会と続く流れである。
事務局担当者の方々もたいへんなことである。
私が関わった50周年記念誌も無事に出来上がっていた。
市民憲章を二度朗唱し、米沢市民歌を二度歌い、「ぼくたちの町米沢」も二度歌った。
50年という節目にあたり、これを祝い、市民憲章というものは私たちにとってどのような存在であったかを振り返り、これからどう向き合っていくのかを考えていく機会であろう。
懐かしい人とも再会し、新たな出会いもあり、よいpartyであったのではないだろうか。
終盤、やや早めに会場を後にして帰宅。
娘がやっとなんとか風呂を待っていた。
父ちゃん業(行)も、これでなかなかなのである。
思ったほどくせはなく、ゴールデンピルスナーより飲み応えがあってよいかも。
遠野の地ビール4種を買ってきて、330mlを毎日一本づつと言う、まぁまぁささやかな晩酌であるのだが、地ビールと言うだけで、楽しめるのが良いではないか。
さて、26日 金曜日。
午前中に、米沢市街にあるお宅で屋敷神さまのお祭りをお勤めさせていただき、お昼からは米沢市市民憲章制定50周年記念の行事があり、この日は一日それで終わる予定である。
昨年、実行委員会が組織されて、私もその一人で会議にも出席してきたのだが、今年の夏以降は日中の会議に出席する余裕がなくなってしまっていた。
なんとか、当日の時間だけは確保して出席とできるお手伝いをするということに。
日程は、まず、13時半から毎年開催している「市民憲章推進大会」を文化センターで開催。
その後、ホテルサンルートに会場を移動して、16時40分から50周年記念式典。約2時間の式典を終えてから、同じ会場で祝賀会と続く流れである。
事務局担当者の方々もたいへんなことである。
私が関わった50周年記念誌も無事に出来上がっていた。
市民憲章を二度朗唱し、米沢市民歌を二度歌い、「ぼくたちの町米沢」も二度歌った。
50年という節目にあたり、これを祝い、市民憲章というものは私たちにとってどのような存在であったかを振り返り、これからどう向き合っていくのかを考えていく機会であろう。
懐かしい人とも再会し、新たな出会いもあり、よいpartyであったのではないだろうか。
終盤、やや早めに会場を後にして帰宅。
娘がやっとなんとか風呂を待っていた。
父ちゃん業(行)も、これでなかなかなのである。