雪は朝方から降り方が強くなったらしく、除雪車が来た後の積り方が甚だしい。
かんじるせいか、サラサラとした雪が、除雪機の投雪口から吹っ飛んでゆく。
18日の朝。
境内の周囲の雪の壁がだんだんと高くなってゆく。
昨年の雪の量に近づいてきているかも。
本日一回目の除雪は調子よく終えた。
時折雪は小やみになったり、晴れ間がのぞく時もあるのだが、雪は降り風が強くなって吹雪状態になってゆく。
簗沢の檀家さんのお宅に、命日のご供養で出かけた。
いつも通る中山峠は間違いなく道路幅が狭くなっているはずなので、遠回りをして館山から赤芝を通って向った。
田沢よりも市街地に向かった方が吹雪が激しく、国道の道幅も狭くなっているため、運転もかなり慎重にならざるを得ない。
お勤めを終えて、帰りは中山峠を越えてきた。
しかし、まだ除雪は一車線を確保してあるだけで、吹雪でもあり、慎重に走らなければならなかった。
この道路は、峠付近にある産廃処理施設があるため、産業廃棄物を運搬するかなり大きなトラックがそうとう出入りするので、こういう状況だと運が悪いと動きがとれなくなる。
幸いなことに、お昼時間のせいか、または吹雪で状況が悪いせいか大型車と出会うことなく田沢に抜け国道に出ることができた。
勝手口の玄関の前に立つ松の木の枝に雪がたまり落ちないため、危険と判断して、ここに立ち入らないようにした。
去年も大騒ぎして、今年もまた…。
門口に大木は、やはり考えものである、なんとかしなければならない。
吹雪に関わらず、私はかかりつけの医院に行かなければならず、相方と娘を児童会館へ送って、それから医院へ。
本当は子育て支援センタで遊ばせる予定だったのだが、あまりの吹雪と除排雪の影響で渋滞になっていたため、急きょ変更。
間もなく一歳になるところの子どもには、児童会館は勝手が違うのだけれど、施設の職員の方に面倒を見てもらったりして、約1時間余り動き回って遊んできたらしい。
冬は閉じこもりがちになるので、ほんとうにありがたいことだ。
暗くなって帰宅すると、除雪車が来て行った後で、山のようになった玄関口の雪を急いで除雪機で飛ばして中へ入る。
引き続いて本日3回目の除雪である。
雪はしだい激しさを増して、風が吹き荒れ、やがて吹雪の様相になって行った。
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来年こそは
午前中は休息。
17日(木)は、米沢の南原にある笹野の観音さま(お堂)のあるお寺を中心とした、十七堂祭りがある日で、例年この日は大荒の天気になるとか。
火渡りのご祈祷があり、名物の笹野花を売る店が出るなど、大いに賑わうそうなのだが、残念ながら、じつは私は一度も行ったことがない。
午後に用事があって、今年も叶わなかった。
来年こそは!
(って、まだ今年始まったばかりなのにね)
午前中は娘の子守りをしながら過ごす。
体調は回復し、元気になった。
午後の用事を終えて雪片づけをしていると、夕暮れ。
しだいに陽が伸び、午後5時過ぎを過ぎてもまだ明るい。
天気は落ち着き、家とお寺の周囲の雪を片づける。
夕食は、鮪のぶつ&とろろ丼。
ご馳走ご馳走(^^;
晩酌などをして休む頃には、また雪が…。
17日(木)は、米沢の南原にある笹野の観音さま(お堂)のあるお寺を中心とした、十七堂祭りがある日で、例年この日は大荒の天気になるとか。
火渡りのご祈祷があり、名物の笹野花を売る店が出るなど、大いに賑わうそうなのだが、残念ながら、じつは私は一度も行ったことがない。
午後に用事があって、今年も叶わなかった。
来年こそは!
(って、まだ今年始まったばかりなのにね)
午前中は娘の子守りをしながら過ごす。
体調は回復し、元気になった。
午後の用事を終えて雪片づけをしていると、夕暮れ。
しだいに陽が伸び、午後5時過ぎを過ぎてもまだ明るい。
天気は落ち着き、家とお寺の周囲の雪を片づける。
夕食は、鮪のぶつ&とろろ丼。
ご馳走ご馳走(^^;
晩酌などをして休む頃には、また雪が…。
もう後半ですねぇ
だんごの木は、やはりちょっこら大きくて、照明に掛かるため剪定したら、形がイマイチになってしまった。
バタバタとやるとこんなふうになってしまうなぁ。
とにかく、客間にとりつけ、小さい枝を数ヶ所に飾った。
さて、16日(水)、檀家の方の火葬と告別式である。
喪主は、子供の頃からの幼馴染のようなもので、大人になってからは20年以上も同じ草野球のチームでプレーしている仲でもある。
父上は、数年前から寝たきりに近い状態になっており、母が主になって在宅介護を続けてきたのだ。
彼は関東方面へ出張して仕事をしていたため、残念ながら戻ってくる前に亡くなられた。
12日のお昼に亡くなられたのだが、式場の関係やら日程が微妙に会わないため、16日まで延ばしての式となった。
身一つで働き続けてきた方であった。
安らかに眠るように息を引き取られたとのこと。
合掌
我が家の娘は、ようやく体の調子が、完全に戻ってきたようである。
よく食べ、表情が明るくなってきた。
それはまたそれで、たいへんなわけで、ご飯を食べ終わって、こちらが食べる間は不承不承サークルの中に入って声を上げている。
1月ももう後半。
誕生日まで半月になった(^^;
バタバタとやるとこんなふうになってしまうなぁ。
とにかく、客間にとりつけ、小さい枝を数ヶ所に飾った。
さて、16日(水)、檀家の方の火葬と告別式である。
喪主は、子供の頃からの幼馴染のようなもので、大人になってからは20年以上も同じ草野球のチームでプレーしている仲でもある。
父上は、数年前から寝たきりに近い状態になっており、母が主になって在宅介護を続けてきたのだ。
彼は関東方面へ出張して仕事をしていたため、残念ながら戻ってくる前に亡くなられた。
12日のお昼に亡くなられたのだが、式場の関係やら日程が微妙に会わないため、16日まで延ばしての式となった。
身一つで働き続けてきた方であった。
安らかに眠るように息を引き取られたとのこと。
合掌
我が家の娘は、ようやく体の調子が、完全に戻ってきたようである。
よく食べ、表情が明るくなってきた。
それはまたそれで、たいへんなわけで、ご飯を食べ終わって、こちらが食べる間は不承不承サークルの中に入って声を上げている。
1月ももう後半。
誕生日まで半月になった(^^;
小正月
小正月、15日(火)は朝から雪。
大雪が降るという予報だったが、10センチそこそこというとこで、肩透かしを食った感じ。
こういうのはちっとも構わないけどね。
午前中は動けなかったので、小正月の準備は午後からになってしまった。
裏山へスノシューを履いて、だんごの木(ミズキ)を採りに行く。
新雪が少々積もっているため、歩きにくいが、すぐ裏なので運動不足の私でもさほど苦にならない。
さてさて、どれがいいかなぁ…と眺めているうちにけっこう登った。
山で見ると「小さいかな?!」と思って持ち帰ると、けっこう大きかったりする。
ミズキは芯を伐らないと、毎年毎年おおきくなって行く。
もうそうとうな大木もある。
ようやく決めて伐って担いで降りた。
やっぱり、でかかった(^^;
そうこうしていたら、15時を回っていた。
慌ててサイド焼きの準備に、近所の田んぼへ。
・・・でも、もう出来上がっていた。
今年も藁だけででき上がっていた。
この中には昨年の古い〆縄や、各戸で持ち寄った松飾りや古お札などが入っている。
さいど、は柴燈であり斉度であろう。
年を司る歳徳神さまに祈り願うのである。
それにしても、皆さん早い。
わが町内の、この隣組は、15日にするものだということになっており、だいたい15時頃に集まって19時点火するということが暗黙の了解になっている。
なん曜日だろうと、集まることができる人が集まって準備しやる。
伝統行事とはそういうものであろう。
特別に何か準備するということもない。
餅をついた家では、棒に餅をつけてやって来る。
そうそう、餅である。
一升の餅をつき、だんごの木に差す分と炙って食う分を作る。
近所の年配の方が「その日ついた餅をその日に炙って食っていいのは、サイド焼きの時だげだ」と教えてくれる。
なるほど、そう言われればそうだなぁ。
餅をついて、フナせんべい(だんご下げの飾り)を、昨年全部処分してしまったことを思い出して慌てて買いに行く。幸い、2店目に入ったスーパーに残っていて、購入。
バタバタと、ドロナワ的な準備をして、ようやくサイド焼き会場(田んぼ)へ。
すでに点火されていた。
娘の初サイド焼き!
「ヤハハエロー!」「福の神やってこい~!」
お母ちゃん背中におぶられて、見えているのかどうかわからぬが…。
「風邪やウイルス、吹っ飛んでけぇ~!」
自宅に戻り、私の父親が高齢の歳とり行事を行い。
夕食の食卓についた頃には、21時に近くなっており…。
娘がむずかりはじめ、私ももう、飲みたいなぁとなっており…、ほぼ同レベルの人になっておりました。
しかしながら、とにかく、娘の初小正月、じいさん・ばあさんには幸せな時間であったに違いありません。
大雪が降るという予報だったが、10センチそこそこというとこで、肩透かしを食った感じ。
こういうのはちっとも構わないけどね。
午前中は動けなかったので、小正月の準備は午後からになってしまった。
裏山へスノシューを履いて、だんごの木(ミズキ)を採りに行く。
新雪が少々積もっているため、歩きにくいが、すぐ裏なので運動不足の私でもさほど苦にならない。
さてさて、どれがいいかなぁ…と眺めているうちにけっこう登った。
山で見ると「小さいかな?!」と思って持ち帰ると、けっこう大きかったりする。
ミズキは芯を伐らないと、毎年毎年おおきくなって行く。
もうそうとうな大木もある。
ようやく決めて伐って担いで降りた。
やっぱり、でかかった(^^;
そうこうしていたら、15時を回っていた。
慌ててサイド焼きの準備に、近所の田んぼへ。
・・・でも、もう出来上がっていた。
今年も藁だけででき上がっていた。
この中には昨年の古い〆縄や、各戸で持ち寄った松飾りや古お札などが入っている。
さいど、は柴燈であり斉度であろう。
年を司る歳徳神さまに祈り願うのである。
それにしても、皆さん早い。
わが町内の、この隣組は、15日にするものだということになっており、だいたい15時頃に集まって19時点火するということが暗黙の了解になっている。
なん曜日だろうと、集まることができる人が集まって準備しやる。
伝統行事とはそういうものであろう。
特別に何か準備するということもない。
餅をついた家では、棒に餅をつけてやって来る。
そうそう、餅である。
一升の餅をつき、だんごの木に差す分と炙って食う分を作る。
近所の年配の方が「その日ついた餅をその日に炙って食っていいのは、サイド焼きの時だげだ」と教えてくれる。
なるほど、そう言われればそうだなぁ。
餅をついて、フナせんべい(だんご下げの飾り)を、昨年全部処分してしまったことを思い出して慌てて買いに行く。幸い、2店目に入ったスーパーに残っていて、購入。
バタバタと、ドロナワ的な準備をして、ようやくサイド焼き会場(田んぼ)へ。
すでに点火されていた。
娘の初サイド焼き!
「ヤハハエロー!」「福の神やってこい~!」
お母ちゃん背中におぶられて、見えているのかどうかわからぬが…。
「風邪やウイルス、吹っ飛んでけぇ~!」
自宅に戻り、私の父親が高齢の歳とり行事を行い。
夕食の食卓についた頃には、21時に近くなっており…。
娘がむずかりはじめ、私ももう、飲みたいなぁとなっており…、ほぼ同レベルの人になっておりました。
しかしながら、とにかく、娘の初小正月、じいさん・ばあさんには幸せな時間であったに違いありません。
雪国だからねぇ
14日(月)、成人の日。
米沢は5月の連休の時に成人式が行われるが、新聞を見ると、前日の日曜日やこの日に行う自治体が山形県でもあるのですね。
大雪の天気予報は、大雪というほどではなく、ただし東京などの首都圏に大雪が降り、電車や高速道路などの交通網が大混乱していると、テレビのニュースなどで伝えている。
成人式の晴れ着が、勿体ない…なんて思うのは私だけ?!
普段降らないところに10㎝も雪が降ったらもう大変なことになる。
歩くことさえ難渋になるもの。
雪国で育った私でさえ、磨かれたような石の歩道など危なくて歩けるものでない。
それに、雪を片づける道具がないので、立体式の横断歩道などの階段などただの坂になっていたり、あちらこちら危険がいっぱいだ。
檀家の方がおいでになって、わらびの塩漬けをいただいた。
煮物にしていただく。
昔は、どこの家でも、山菜や野菜を大量に塩蔵して冬の食料にしていたものだ。
今は、いつでも買い物に行けるし、冷凍庫や冷蔵庫もあるので、それほどというか、ほとんど保存食はしなくなってきている。
それに、どうしても塩分を摂りすぎないようにということもあるしね。
けれど、これは雪国の山里で生きるための知恵として受け継がれてきたものであり、文化といえる。
塩蔵は、受け継いでいきたい生活の知恵なのだ。
毎年、有り難くいただいている。
こちらも雪は降っているものの、たいした雪ではないので、落雪で山になっている場所の雪を飛ばして片づけ方である。大きな屋根の二方向から雪が落ちてくるお寺の前(南側)の雪を、除雪機を使って3段階に飛ばす。
雪は飛ばすたびに重くなっていく。
前の側溝と、駐車場の東側にと、飛ばす。
これで廊下が明るくなった。
午後遅くなって雪が強くなった。
夕刻に再度除雪を行う。
作業を終えて、玄関先に火があると、心身ともに暖まって生き返る。
手の指をはじめ、すっかり凍えてしまっている。
ふえ~(^^
できれば、この火を火鉢に炭を熾しておきたいのだが、なかなか石油ストーブの簡単さに慣れて、換えることができないでいる。
果たして、今冬こそはできるだろうか…。
米沢は5月の連休の時に成人式が行われるが、新聞を見ると、前日の日曜日やこの日に行う自治体が山形県でもあるのですね。
大雪の天気予報は、大雪というほどではなく、ただし東京などの首都圏に大雪が降り、電車や高速道路などの交通網が大混乱していると、テレビのニュースなどで伝えている。
成人式の晴れ着が、勿体ない…なんて思うのは私だけ?!
普段降らないところに10㎝も雪が降ったらもう大変なことになる。
歩くことさえ難渋になるもの。
雪国で育った私でさえ、磨かれたような石の歩道など危なくて歩けるものでない。
それに、雪を片づける道具がないので、立体式の横断歩道などの階段などただの坂になっていたり、あちらこちら危険がいっぱいだ。
檀家の方がおいでになって、わらびの塩漬けをいただいた。
煮物にしていただく。
昔は、どこの家でも、山菜や野菜を大量に塩蔵して冬の食料にしていたものだ。
今は、いつでも買い物に行けるし、冷凍庫や冷蔵庫もあるので、それほどというか、ほとんど保存食はしなくなってきている。
それに、どうしても塩分を摂りすぎないようにということもあるしね。
けれど、これは雪国の山里で生きるための知恵として受け継がれてきたものであり、文化といえる。
塩蔵は、受け継いでいきたい生活の知恵なのだ。
毎年、有り難くいただいている。
こちらも雪は降っているものの、たいした雪ではないので、落雪で山になっている場所の雪を飛ばして片づけ方である。大きな屋根の二方向から雪が落ちてくるお寺の前(南側)の雪を、除雪機を使って3段階に飛ばす。
雪は飛ばすたびに重くなっていく。
前の側溝と、駐車場の東側にと、飛ばす。
これで廊下が明るくなった。
午後遅くなって雪が強くなった。
夕刻に再度除雪を行う。
作業を終えて、玄関先に火があると、心身ともに暖まって生き返る。
手の指をはじめ、すっかり凍えてしまっている。
ふえ~(^^
できれば、この火を火鉢に炭を熾しておきたいのだが、なかなか石油ストーブの簡単さに慣れて、換えることができないでいる。
果たして、今冬こそはできるだろうか…。