HOME > 記事一覧

余裕は持つのではない、つかむもの

加藤は、テストドライバーとして、ドイツの山奥に送り込まれた。
世界最難関のテストコース、ニュルンブルリンク。
意気揚々とやってきた加藤は、コースを見るなり茫然とした。

「正直、生きて帰れるんだろうかって思いました。これは本当にテストコースか、と」
急激な下り坂に、先の見えない急カーブが続く。道幅わずか8メートル。その横は崖。
そこを、時速200キロメートルで走り抜けなければならない。

加藤は恐怖でアクセルを踏み込めず、全くテストにならなかった。
結局、現地のドライバーに頼み性能評価をしてもらった。屈辱だった。
しかし、翌年も、また翌年も、加藤はドイツに送られた。

投げ出さないと上司に誓った約束。
しかし、コースに出れば緊張で体はガチガチ、毎日のように自分が事故で死ぬ夢を見た。
どうすれば余裕を持って走り、車を評価できるのか、誰も教えてくれなかった。

5年が経った。加藤は意地だけで難関コースに挑み続けていた。
ある日、ハンドルを握りしめず、指だけで持ってみた。
力の入れようがなく、力みが少し抜けた。勇気を出し、コーナーに200キロで突っ込んだ。

急カーブを乗り切った。指先で初めてタイヤの動きが感じられた。
次第に車の性能評価ができるようになってきた。
這いつくばるようにして、コースに挑みつづけて5年。加藤は気づいた。
「余裕は持つものではない、つかみとるものだ」

(プロフェッショナル仕事の流儀5より)
2008.05.23:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

テストドライバーの存在意義

現在では、エンジニアがデジタルで設計しただけでも、お客様に迷惑をかけるよ
うな車は絶対にできません。
それは、データの積み重ねの結果です。
ただ、「振る舞い」みたいなものまでは、一朝一夕にデータ化できるものではな
いんですね。

車の整備から、テストコースを回って帰ってくるまでのあらゆる場面をすべて書
き出すには、要素の数が多すぎるのです。
それに、いくらデータ化したところで、人間でなければ判断できないところがた
くさんあります。
最後にものをいうのは、データを踏まえたうえでの人間の感性だと思います。

By加藤博義

(プロフェッショナル仕事の流儀5より)
2008.05.22:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

テストドライバーはどんな運転を心がけているのか

テストドライバーの運転で大切なのは、ズムーズであること。これに尽きると思
います。
自動車は、路面からの入力でいろいろな動きをします。
それに対して、アクセルやブレーキ、ステアリングを切ったりすると、それでま
た動きが変わってしまう。
普通に評価するためには、スムーズな運転が必要なのです。

基本的な運転そのものは、テストドライバーも一般の人と一緒です。
ただ、スムーズさを追求したり、再現性を強く意識して運転することろが違いと
いえるかもしれません。
同じ操作と違う操作を何回も繰り返しながら、車の「振る舞い」を評価していく
わけです。

By加藤博義

(プロフェッショナル仕事の流儀5より)
2008.05.21:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

テストドライバーの適性とは

運転免許さえ持っていて、車が運転できるのであれば、どんな人でもテストドライバーになれます。
あえて、適性のない人を挙げるとすれば、車をよく運転していて、しかも自信のある人。
一度ついた癖を矯正するのはゼロから教えるより難しいんですね。

それでは上手い運転というのはどういうものかというと、記憶に残らない運転だと思います。
車から降りてから、「あの人の運転はどうだったんだろう」と考えた時に記憶に残っていない。

ステアリングが上手かったとか、ギアチェンジがどうの、というのは、そこに特徴があるということ。
それが例えよい意味であっても、特徴が強く出るより、記憶に残らない運転の方が上手いと思います。

By加藤博義

(プロフェッショナル仕事の流儀5より)

2008.05.20:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

新車開発のカギを握るテストドライバー

われわれが普段利用する車の快適な乗り心地をつくり出すためには、
21世紀の現代ですら、人の五感に頼らざるを得ない。
その判定を下し、開発の方向を決めるのがテストドライバーである。

加藤博義は、テストドライバーとしてただ一人、国選定の「現代の名工」に選ば
れている。
時速200キロを超える極限状態の中で、車の運動性能を確かめ、
問題点と改善の方策までフィードバックする、その能力。
加藤の言葉は“神の声”とまで呼ばれる。

(プロフェッショナル仕事の流儀5より)
2008.05.19:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]