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医師として生き続ける

医師を続けているのは、やりがいがあるからです。
苦しみも大きいですし、つらいことも多い。
けれども、治した時の喜びはもっと大きいんです。

僕はルーズで怠慢ですが、始めた以上は何があっても最後まで続ける。
それが僕の昔からの信念なんです。

「一つのことができないやつは全部できない、一つできたやつは全部できる」
と、ずっと信じてきました。
だから、途中で少しぐらい休んでもいいから、絶対に完走しよう、と。

成功もプロセス、挫折してもプロセス。すべては人生のプロセスです。
人生というのは夢や希望をエネルギーに時間を飛び回る旅人です。
そのカバンには思い出しか入らない。それ以外には何も残らないんです。

生まれ変わっても、もう一度、医師をやるでしょう。
やり残したことがいっぱいありますからね。

By上山博康

(プロフェッショナル仕事の流儀9 File No.26より)
2008.09.11:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

医療不信の原因はどこにあるか

医療事故が起こると、決まって病院長とかが謝罪会見をして陳謝しますよね。
発覚してから苦し紛れに公式の場で謝罪しても、残された家族が喜ぶはずもない。
テレビや新聞のニュースになる前に、病室のレベルでキチンとした謝罪があるべ
きだと思います。

手術は人間がやることですから、完全とか絶対はないんです。
自分でも意図しなかった結果ですから、誠心誠意謝罪するしかない。

そもそも、プロとアマがトラブルを起こした時は、八割はプロに責任がある。
例えば一流のホテルのフロントで、従業員とお客さんが喧嘩していることはない
でしょう。

どんなに無理難題を言われたとしても、一流のプロだから上手に対応するんです。
医療のトラブルもそれと同じで、患者さんに納得してもらえないのは、説得する
医師側の責任なんです。

By上山博康

(プロフェッショナル仕事の流儀9 File No.26より
2008.09.10:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

なぜ医師を続けることができたのか

医師として、プロとしてのプライドでしょう。
この仕事を生業としている以上、逃げることは絶対に許されません。
逃げるイコール、患者が亡くなることですから。

僕は黒澤明監督の『七人の侍』が大好きで、何度も見ているのですが、
僕らはある意味、あの映画に出てくる侍と同じ傭兵なんです。

患者さんというのは、病気に蹂躙されるだけで、戦う武器がない。
でも医者には武器がある。だから雇われているわけです。

あの映画では主人公級の人が、農民のために死んでいくけれど僕らは死なない。
攻め込ませたら死ぬのは患者さんで、負けたところで僕らはプライドが傷つくだ
けです。
それで逃げるわけにはいかないでしょう。

By上山博康

(プロフェッショナル仕事の流儀9 File No.26より)

2008.09.09:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

批判される人間でいろ

恩師の伊藤先生から言われた言葉はたくさんあります。
ただ若い時には、言葉として理解していても真意は理解できないものです。

歳をとって、いろいろな経験をして、「ああ伊藤先生が言っていたのは、こんな
意味だったんだ」
とわかるまでには、ずいぶん時間がかかりました。

そんな言葉のひとつに、「いつも批判される人間でいろ」というものがあったん
です。
絶賛ならともかく、批判なんかされたくないですよね。

「何かをやっていれば必ず評論家みたいに批判する人が出てくる。
批判をされるということは何かをしていることだから、批判される人間でいろ。
決して評論家になるな」
と言われました。

By上山博康

(プロフェッショナル仕事の流儀9 File No.26より)
2008.09.08:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

手術を失敗した時の気持ち

どこにも自分の居場所がなくなるんです。茫然として・・・・・。

「俺、先生を信頼しているから頼むよ。
息子が二人いて、一人立ちできるまでは死にたくないんんだ」

今でも手術の前の笑顔が浮かんできます。
悔しいです。彼の無念さが、どうしても忘れられない。

その後も、何人もの方を亡くしてします。
そんな思いを後輩たちに絶対させたくない。
だから、彼らにも厳しくしているんですね。

By上山博康

(プロフェッショナル仕事の流儀9 File No.26より)
2008.09.07:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]