医師を続けているのは、やりがいがあるからです。
苦しみも大きいですし、つらいことも多い。
けれども、治した時の喜びはもっと大きいんです。
僕はルーズで怠慢ですが、始めた以上は何があっても最後まで続ける。
それが僕の昔からの信念なんです。
「一つのことができないやつは全部できない、一つできたやつは全部できる」
と、ずっと信じてきました。
だから、途中で少しぐらい休んでもいいから、絶対に完走しよう、と。
成功もプロセス、挫折してもプロセス。すべては人生のプロセスです。
人生というのは夢や希望をエネルギーに時間を飛び回る旅人です。
そのカバンには思い出しか入らない。それ以外には何も残らないんです。
生まれ変わっても、もう一度、医師をやるでしょう。
やり残したことがいっぱいありますからね。
By上山博康
(プロフェッショナル仕事の流儀9 File No.26より)
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医療不信の原因はどこにあるか
医療事故が起こると、決まって病院長とかが謝罪会見をして陳謝しますよね。
発覚してから苦し紛れに公式の場で謝罪しても、残された家族が喜ぶはずもない。
テレビや新聞のニュースになる前に、病室のレベルでキチンとした謝罪があるべ
きだと思います。
手術は人間がやることですから、完全とか絶対はないんです。
自分でも意図しなかった結果ですから、誠心誠意謝罪するしかない。
そもそも、プロとアマがトラブルを起こした時は、八割はプロに責任がある。
例えば一流のホテルのフロントで、従業員とお客さんが喧嘩していることはない
でしょう。
どんなに無理難題を言われたとしても、一流のプロだから上手に対応するんです。
医療のトラブルもそれと同じで、患者さんに納得してもらえないのは、説得する
医師側の責任なんです。
By上山博康
(プロフェッショナル仕事の流儀9 File No.26より
発覚してから苦し紛れに公式の場で謝罪しても、残された家族が喜ぶはずもない。
テレビや新聞のニュースになる前に、病室のレベルでキチンとした謝罪があるべ
きだと思います。
手術は人間がやることですから、完全とか絶対はないんです。
自分でも意図しなかった結果ですから、誠心誠意謝罪するしかない。
そもそも、プロとアマがトラブルを起こした時は、八割はプロに責任がある。
例えば一流のホテルのフロントで、従業員とお客さんが喧嘩していることはない
でしょう。
どんなに無理難題を言われたとしても、一流のプロだから上手に対応するんです。
医療のトラブルもそれと同じで、患者さんに納得してもらえないのは、説得する
医師側の責任なんです。
By上山博康
(プロフェッショナル仕事の流儀9 File No.26より
なぜ医師を続けることができたのか
医師として、プロとしてのプライドでしょう。
この仕事を生業としている以上、逃げることは絶対に許されません。
逃げるイコール、患者が亡くなることですから。
僕は黒澤明監督の『七人の侍』が大好きで、何度も見ているのですが、
僕らはある意味、あの映画に出てくる侍と同じ傭兵なんです。
患者さんというのは、病気に蹂躙されるだけで、戦う武器がない。
でも医者には武器がある。だから雇われているわけです。
あの映画では主人公級の人が、農民のために死んでいくけれど僕らは死なない。
攻め込ませたら死ぬのは患者さんで、負けたところで僕らはプライドが傷つくだ
けです。
それで逃げるわけにはいかないでしょう。
By上山博康
(プロフェッショナル仕事の流儀9 File No.26より)
この仕事を生業としている以上、逃げることは絶対に許されません。
逃げるイコール、患者が亡くなることですから。
僕は黒澤明監督の『七人の侍』が大好きで、何度も見ているのですが、
僕らはある意味、あの映画に出てくる侍と同じ傭兵なんです。
患者さんというのは、病気に蹂躙されるだけで、戦う武器がない。
でも医者には武器がある。だから雇われているわけです。
あの映画では主人公級の人が、農民のために死んでいくけれど僕らは死なない。
攻め込ませたら死ぬのは患者さんで、負けたところで僕らはプライドが傷つくだ
けです。
それで逃げるわけにはいかないでしょう。
By上山博康
(プロフェッショナル仕事の流儀9 File No.26より)
批判される人間でいろ
恩師の伊藤先生から言われた言葉はたくさんあります。
ただ若い時には、言葉として理解していても真意は理解できないものです。
歳をとって、いろいろな経験をして、「ああ伊藤先生が言っていたのは、こんな
意味だったんだ」
とわかるまでには、ずいぶん時間がかかりました。
そんな言葉のひとつに、「いつも批判される人間でいろ」というものがあったん
です。
絶賛ならともかく、批判なんかされたくないですよね。
「何かをやっていれば必ず評論家みたいに批判する人が出てくる。
批判をされるということは何かをしていることだから、批判される人間でいろ。
決して評論家になるな」
と言われました。
By上山博康
(プロフェッショナル仕事の流儀9 File No.26より)
ただ若い時には、言葉として理解していても真意は理解できないものです。
歳をとって、いろいろな経験をして、「ああ伊藤先生が言っていたのは、こんな
意味だったんだ」
とわかるまでには、ずいぶん時間がかかりました。
そんな言葉のひとつに、「いつも批判される人間でいろ」というものがあったん
です。
絶賛ならともかく、批判なんかされたくないですよね。
「何かをやっていれば必ず評論家みたいに批判する人が出てくる。
批判をされるということは何かをしていることだから、批判される人間でいろ。
決して評論家になるな」
と言われました。
By上山博康
(プロフェッショナル仕事の流儀9 File No.26より)
