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広告と芸術の間で葛藤はあるか

葛藤はありますが、広告も芸術作品も、撮っているのは自分だということ。
「自分はこう思う。だからこうしたほうがいい」と言えるものがあることが大切
です。

広告の場合でも、納得できないものは撮りません。
それは撮る人間の信念なので、それでなければ自分がいる意味がありませんから。

ほとんどの広告は、企画が来た段階で、80点レベルにまで完成されたものです。
僕の仕事は、そこから残りの20点で、見る人に何かを感じさせるものにするこ
とです。

By上田義彦

(プロフェッショナル仕事の流儀9 File No.27より)
2008.09.16:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

広告写真を撮り続ける理由

通常の作品は最初から最後まで自分だけのものですが、広告は企画の段階から色んな人が関わって、最後の段階で僕のところに依頼が来るわけです。

そうすると、自分では思ってもみなかった人や場所、そして撮り方といったものが盛り込まれます。
それに自分が加わることで、新しい何かが起こるのが広告の面白さだと思います。

それはとてもダイナミックな動きで、自分だけで考えている世界とは全く違うも
のが生まれる可能性があるんです。

By上田義彦

(プロフェッショナル仕事の流儀9 File No.27より)
2008.09.15:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

写真を撮るプロの心理

撮っている間は空気になりたいですね。
人と人との間にカメラがあって、写す側と写される側がいる。

その人の本来の姿を撮りたいと思っても、
カメラがあることによって通常ではない状態になっているわけです。

だから、言葉や態度によってお互いの関係をできるだけ透明なものにしたいん
です。
そして、ある思いがふっとその人をよぎって、一瞬の間ができたときにシャッ
ターを押します。

時間をかければいいものではないですね。
いいものは自分の心が動いた瞬間に撮れるものです。

By上田義彦

(プロフェッショナル仕事の流儀9 File NO.27より)
2008.09.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

一瞬は永遠に残る

宮沢りえと本木雅弘が、江戸時代の夫婦に扮し、京都の伝統的なイメージを表現
した緑茶飲料の広告。
未来的な白をバックに、着物姿の吉永小百合が液晶テレビに向き合うポスター。

あふれる広告の中でも、ひときわ強い印象を残すこれらの写真は、写真家・上田
義彦の作品だ。
その写真は「上田調」と呼ばれる独特の淡い色彩に彩られ、被写体の存在感が見
る者の胸に迫ってくる。

なぜ、上田の手がけるものは人々の心に残るのか。
「わかりやすい、世の中に徘徊している広告とは違う。微妙で優しくて、頑固で
強い」
そこには、心を射抜くようにシャッターを押す「サムライ」がいる。

(プロフェッショナル仕事の流儀9 File No.27より)
2008.09.13:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

上山博康のプロフェッショナルとは

自分を好きでいられる生き様を貫くこと。
自分を偽らないことだと思いますね。

僕自身過去に負った傷があります。
でも、自分のミスを正直にお詫びしたことは、
今でも失敗だと思っていません。

僕の人生は、ぶざまでのた打ち回るようなことばかりです。
でも、のた打ち回ってきた自分を、今は嫌いではないです。
それがプロであることなのかと思っています。

(プロフェッショナル仕事の流儀9 File No.26より)
2008.09.12:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]