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シリコンバレーに学ぶべきこと

チャレンジしようとする人をみなでサポートする社会システムでしょう。
シリコンバレーで感じられる、チャレンジを支援する風土のもとになっているものは、教育と多様性です。

もちろん、それを日本にそのまま持ってくる必要はありません。
日本人の考え方や行動に適していて、それでいてチャレンジする人を抑えつけないルールを考えるべきでしょう。

By渡辺誠一郎

(プロフェッショナル仕事の流儀14 File No.42より)
2009.03.02:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

目指すべき技術と使命感

私は、映像によるコミュニケーションに、ものすごい可能性を感じています。
実際に、ビデオ映像の共有サイトなどを見ると、言語の壁はありません。

言語に頼らないコミュニケーションの情報通信パワーが上がってきた。
そこに自分の仕事をつなげていければと思っています。

By渡辺誠一郎

(プロフェッショナル仕事の流儀14 File No.42より)
2009.03.01:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

アイデアを出し続けるつらさとは

アイデアを出し続けるというプレッシャーは、常にあります。
でも、それを補って余りあるほどのワクワク感も同時にあるんです。

コンピュータが生まれたころ社会に出て、その革命的な技術が情報のフラット化を起こしている。
さらに、これからも起こし続けているという予感と確信。
その流れの中で追いまくられるのは、確かに疲れるし、毎日のようにしんどいのは事実です。

しかし、その技術が社会のインフラとして整備され、当たり前のものになろうとしている。
地球規模で人類の新しい文明が誕生しつつある現場に居合わせることの幸せを感じています。

By渡辺誠一郎

(プロフェッショナル仕事の流儀14 File No.42より)
2009.02.28:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

絶望しなかった理由

一つには、仲間がいたということですね。
あとは、信念でしょうか。

極端にいえば「解けない問題はない」ということです。
必ずどこかに出口があるはずだと思っていました。

By渡辺誠一郎

(プロフェッショナル仕事の流儀14 File No.42より)
2009.02.27:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

~渡辺誠一郎のターニングポイント~「マドル・スルー 泥沼からの脱出」

日本の医療機器メーカーで画像処理技術を担当していた渡辺は、43歳で部長に昇進、開発の場を離れた。
予算の管理や社内調整に追われる中で、湧き上がってきた思いがあった。
「自分がワクワクできないという、ある意味での失望感。これでは自分が働いている意味がない」

辞表を出した後、会社を立ち上げようとシリコンバレーに乗り込んだ。
投資家を訪ね歩きプランを説明。独創的なアイデアに懸けてほしいと願い出た。
しかし、投資はなかなか得られなかった。

何とか会社設立にはこぎ着けたものの、逆境はつづき社員7名を抱えて倒産の危機に瀕した。
家族も連れてきた異国の地で、眠れない日が続いた。

追い詰められたある日、こう思った。
「悩んでいるだけのこの時間を、次の手立てを考える時間に使おう」
徹夜の研究が続いた。回り道になろうが、行き止まりにぶつかろうが、必死にもがき続けた。

そして三年。出来上がった製品は異例の高評価を受けた。
ある人が言った、「あなたのような開発を、泥の中をもがきながらのブレイク・スルー、マドル・スルーといいます」。
渡辺がシリコンバレーで認められた瞬間だった。

(プロフェッショナル仕事の流儀14 File No.42より)
2009.02.26:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]