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「中年モラトリアム」

モラトリアム学生はいるが、むしろ警戒しなければならないのはモラトリアムを経験しない人である。
目的もなく大学に入り、いわれるままに勉強し、一流会社に就職して妙に早く大人になってしまう。

危険なのは順調にきているので二枚腰でないことだ。だから中年になってモラトリアムが起こってくる。

いま、中年に一番多いのがうつ病である。そうなった人を会社はダメだと思わずに一年くらい休ませておく思いやりが必要だ。それを乗り越えたら人間はもう一つ成長する。

青年期は大人になるための準備期間、中年は老いるための準備期間なのに、この第二のモラトリアムを意識することが大切だ。

(「人生学ことはじめ」より)
2006.10.06:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「のぼせが終わるところに関係がはじまる」

夫婦関係、友人関係、師弟関係、あるいは人と物との関係も、「のぼせ」と「のぼせの終り」によって、関係が深まるといえる。
もっとも、それには多様性があり、一つの大きな波のような経過をたどる時と、小さい波が何度も繰り返されるような経過をたどる時もあるだろう。

もう少し複雑になってくると、あるレベルではハッキリと醒めていながら、異なるレベルではのぼせを継続していく、というような形をとるかもしれない。
ともかく、のぼせから醒めたときから、大切な仕事がはじまることを知っておかないと、せっかくの「のぼせ」を生かすことができないだろう。

(こころの処方箋より)
2006.10.02:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「ソウル・メーキングやってみませんか」

 この世でやっていることの一つ一つはあの世の生活での準備になっている。
あるいは自分が死んだときに、あちらにもっていけるものが自分のたましい(ソウル)であると考えてみてはどうだろうか?
閻魔さんの前に持っていって、これが私のたましいですと示せるもの、そのようなたましいを生きている間にいかにしてつくるか、これがソウル・メーキングである。そもそもたましいなんてあるかどうかもわからないが、それがあると考えて、たまにはソウル・メーキングをやってみたり、それについて考えてみるのも悪くないのではないか。
(こころの処方箋より)
2006.10.02:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「ドップリつかったものが、本当に離れられる」

 本当に離れるためには、一度どっぷりつかることが必要である。
このことは、人間関係に限らない。
趣味などにしても、一度どっぷりつかると、適当な距離を取れるようになる。
中途半端なことをすると「心残り」がするのである。

もっとも、どっぷりつかるのと「溺れる」のとは異なる。
溺れる人はやたらとあちこちしがみつくが、そこを離れることは出来ない。
幼少時に母親とうまく「ごっぷり」体験をもった人は幸せである。
それがなくても、その他の人間関係や、その他の世界との関係で「どっぷり」体験をすることも出来る。
それは、その人の個性と大いにかかわるものとして、創造性の源泉になることもある。

(こころの処方箋より)
2006.10.02:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「生まれ変わるためには死なねばならない」

生まれ変わった気持ちで頑張ります。
あるいは、死んだつもりになって。などということもある。
本当に死んでしまったら生まれ変わるのかどうか分からないが自分の内的体験としては、死んで生まれ変わったと表現したくなるような劇的な変化が生じるのも事実である。
しかし、象徴的な死と再生の背後には、実際の死が存在しているのである。
肉体的死を回避しつつ、象徴的死を成就することが必要で、ただただ、死を避けていたのでは何事もならないのである。

(こころの処方箋より)
2006.10.02:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]