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「職業としてのカウンセリング」

カウンセラーになりたいという人が増えている。また、カウンセリングを受けたいという人も多くなった。しかし、職業としてのカウンセラーになるには大変である。

たとえば、もし、ある日、音楽を聞いて感激して、それでは早速これから「音楽家」というものになろう!と思う人がいるかどうか。
また、花が好きで、自分で花を生けるのはできるが、お花の先生になるというなら相当の習練、努力、その他もろもろの条件が必要だというのは誰にもわかる。

カウンセラーになるというのも同じで、専門家になるのは大変である。人は誰でも、悩んだり苦しんだりして生きたわけだから、その分、自分の人生経験はなかなか豊富だと思える。

で、この豊かな人生経験を生かして人の役に立ちたいと思う人がいるけれど、そんなものほとんど役に立たない。
自分の人生経験で人の役に立てる部分は微々たるものということをよく認識すべきであろう。

(こころの天気図より)

2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「ただ座っていること」

「何もしないことが一番難しい」。
このことは教師としての私に強いインパクトを与えた。

あれも教えよう、これも教えようと動き回っているよりも、教師は「ただ座っているだけ」の方がはるかに教育的なのではなかろうか。

教師のピタリと安定して座っている姿を支えに、生徒達が自主的に動き出し、自分の力で学び始めるのである。

しかし、実際やってみるとこれは実に難しい。他人と関係なく座っているのであれば誰でもできるかもしれない。

生徒と関連をもち、生徒の動きを見ていながら、自分の内面では大いに心を働かせつつ、「ただ座っているだけ」だからこそ生徒の自主的な活動が生じてくるのである。

(「おはなしおはなし」より)

2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「ぼくがここに」

まど・みちお「ぼくがここに」

ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない

もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ
マメが いるならば
その一つぶの マメだけ
しか ここに いることは できない

ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも

その「いること」こそが
なにも まして
すばらしいこと として

(「おはなしおはなし」より)

2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「回帰現象」

人間には人それぞれの基本的な行動のパターンがあるようだ。
たとえば、何か新しい場面に出合うと、はしゃいでしまって、つい、しなくてもよいようなことまでやっていしまうとか、逆にどうしても引っ込み思案になってしまうとか。

しかし、このようなことに気がつくと、案外それは変えられるもので、他人にもあまり気づかれないくらいにはなる。
だが、自分もだいぶ変わったかな、などと思っていても、いざという場面、緊張や思いがけないことが生じたときになると、知らぬ間に以前の型にかえってしまうということはよくある。

それは無意識に起こり、自分でも気がつかないときさえあるが、傍らで見ている人には明瞭に見えるものだ。
このような人間の行動の「回帰現象」とでもいえるようなことがあるのを知っておくと、便利であると思われる。

何しろ、この現象は、大切なときに生じる上に、それが生じていることを本人が気がつかない場合があるので、なかなか厄介なのである。このようなために、取り返しがつかない失敗が起こることもある。

野球の投手が盗塁されるのを防ぐために牽制球を投げるように、自分の心の中で、「回帰現象に注意」という牽制球を投げていると、これもだいぶ防げるようである。

あるいは、回帰現象を起こしても、自分で気づいて、それについて相手に説明して了解してもらったり、自分の姿勢を立て直したりすることによって、決定的な失敗を免れることができると思う。
スポーツと同様、人間関係も訓練によって少しずつ上達するようである。

(「おはなしおはなし」より)

2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「一流病」

建築家の安藤忠雄さんは、大学にも行かずに独学で建築学を学んで今日に至った人である。
ともかく「一流大学に入学して、一流企業に就職するのが幸福の道」と信じきって、そのために幼稚園のときから努力させられる。その結果が相当な不幸につながっていく、という例が多い。

「一流」がいけないというのではない。安藤さんのように自分の進むべき道を見出して、そこで一流に向かって努力し続けるのと、皆が考える一流というのに乗っかっていこうとするのとは、全く異なっている。後者は「一流病」とでもいうべきで、日本人の大半は、これにやられているために、随分と日本中を暗くしている感じがする。

一般の風潮や時代の流れによって判断して進路を決定しても、長い人生の間に、どう変わるかわからない。自分のやりたいことをやって身につけておくと、時代が変わっても自分のものとして揺らぎがないのである。

一流の無意味さをわかってもらえるように、なんとなく一流大学を出て、一流企業に勤めた人が20年後には、実際にどのような人生を送っているのか、というようなルポタージュを発表したりすると、面白いかもしれない。

(「おはなしおはなし」より)

2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]