努力して解決しなければ、などと思っていると、問題は遥か彼方にあって、手が届かないような感じだけど、実は問題というのは、ひとりひとりに、ものすごく具体的に、日々与えられている。しかも、一人一人違う問題を。
たとえば、「これだけ私が、成績の悪い我が子のことを心配しているのに、なんであの子は平気な顔をして遊んでいるのか」、と自分が思ったとする。すると、人はたいてい、我が子にだけ問題があるのだと思う。
しかし、そうはいかない。成績ばかり気にする自分、顔を見れば勉強勉強と言って、子供をうんざりさせ気力を萎えさせてしまう自分・・・。
あるいはもっと深いところに問題は隠されていて、それを引き起こしているのは、もしかしたら自分かもしれない。
そうやって問題を自分のものとしてみてみると、別の視点から見えてくるかもしれない。
そういうふうに思ってみると、わざわざ禅寺へ行って公案をもらわなくても人生、公案だらけですね。
(こころの天気図より)
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「にもかかわらず【やる】と決意する」
他人との間の越え難い線というのは、この世に生きている限り、だれもが感じるものであろう。それを乗り越えて関係をもつというのは、もしかしたらほとんど不可能に近いのかも知れない。
にもかかわらず、「やろう」と決意することが、愛するということではないかと思う。それが難しいことだとハッキリ認識した上で、あきらめず、関係を切らずに「やろう」としていくといつの間にか相手との関係が変わっていたりする。
急激な変化というより、夜が白々と明けるように・・・。ハッとわかったという変わり方をしても、次にまた、わけがわからなくなって、ごちゃごちゃして、また、
少しわかって・・・と、の繰り返し。漆を塗るようにだんだん光ってくる。
(こころの天気図より)
にもかかわらず、「やろう」と決意することが、愛するということではないかと思う。それが難しいことだとハッキリ認識した上で、あきらめず、関係を切らずに「やろう」としていくといつの間にか相手との関係が変わっていたりする。
急激な変化というより、夜が白々と明けるように・・・。ハッとわかったという変わり方をしても、次にまた、わけがわからなくなって、ごちゃごちゃして、また、
少しわかって・・・と、の繰り返し。漆を塗るようにだんだん光ってくる。
(こころの天気図より)
