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EQ能力の開発方法





<組織におけるEQ能力開発事例>








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2006.10.15:反田快舟:コメント(0):[EQとIQ]

「ウソつきは精神的健康の始まり」

 ウソをつけないほうがもっと悪い。
ウソをつきとおすことに伴う精神的エネルギーの大変さを感じたことのない人はないでしょう。

だからか、私たちはウソをつきとおすことは、たいていの場合できません。
思い余って正直に告白したり、それとなくほのめかすこともあります。

ウソをつかれると、その人にウソつきのレッテルを貼りますが、ということはその瞬間、人はそれをウソと知っているということで、それはウソでもなんでもない。そこにはウソは存在しないということではないでしょうか。

ウソをつける精神力を養おうといったらウソになるでしょうか。

(こころの日曜日より)

2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「私は・・・です」から浮かび上がるもの

 心理テストに、20クエスチョンというのがあります。
「私は・・・です」とういのが20書いてあり、その「・・・」の部分に、何でもいいからできるだけ早く書いてもらうやり方です。

「私は○野○男です」と、名前を書いてもいいし、「私は男です」でもいい。
何でもパッパッと20書くわけです。その後で、消してもいいと思うものから消していきます。
そうやって、消して残った部分は、その人にとって大事な意味を含んでいる場合が多い。

深くは分からなくても、書いた本人が、後から調べて面白いこともあります。
何でこんなことを、書いたのだろうとか、この項目を残したのはなぜだろう、とか。
日本人の場合は、わりに職業が出てきます。
日本人は、どこかに所属すると、それで自分の説明がつく気がするのです。
ところが、女性の場合、特に仕事をしていない人は、その問いかけが自分に厳しくなる。

「家庭の主婦」では、あまり所属している感じはしないし、「○○の家内です」では、パッとしないし。
私とは何かの問いかけは、根源的に女性の方がよくしているのではないでしょうか。

(こころの天気図より)
2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「子どもの中にある本来的な自立性」

 大人は、すべてについて、子どもより上だと錯覚しやすい。
子どもというのは、最初は何にも知らなくて、大人の指導によってだんだんと成長し、自立力や判断力を獲得してくるものだと思いがちだが、子どもは本来的に自立性は最初から持っているものだ。
子どもは澄んだ目で物事を見ている。そういうところを、大人は避けているフシがある。
澄んだ目で見られると、こっちの中途半端な生き方が脅かされるわけで、子どもの目に気づかないふりをして、とばしてしまう。
おびやかされるというのは、それによって成長するよい機会でもあるのだが、成長するのはしんどいことなので、自分のことは置いといて子どもの成長ばかり期待する。大人は上位で子どもは下位だと決めてしまうほうが楽だから。

(こころの天気図より)

2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「母性は土のイメージ」

「母」の根本的な姿を自然に例えると「土」のイメージです。
土から麦が生まれ死んでいく、しかし、土に還ったらまた生まれることができる。
だから、土というのは「ただそこにいる」それだけでいいんです。
麦が一人で頑張って、生えたり枯れたりしているだけで、土はあればいい。
この「あればいい」というのが「母」だと思います。

(こころの天気図より)
2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]