HOME > 記事一覧

「勝者は正しいか?」

アメリカ人は正しいことが好きである。しかし、強力に正しいことをすすめ、「勝者は正しい」と考え始めると、これに対抗していくのは実に大変である。そこには「勝者のはにかみ」などというものは存在しない。敗者の悲哀が重なっても、それを表明するのは負けにつながるので、どんな方法でも相手を倒すという強烈な憎悪しかない。現在、グローバリゼーションを最も主張している国が、このような生き方を中核としていることに注意が必要だ。わが国も色々なところで「競争原理」を持ち込んでいるが、これは日本にとってある程度必要なことであろう。日本式の「相互寄りかかり」の甘い生き方では、国際社会において生き残っていけない。しかし、グローバリゼーションの掛け声にのせられ、無自覚にアメリカの尻馬に乗っていると大変危険な目に遇うだろう。ここに示した困難さと危険性を自覚しつつ、一歩一歩前進していくほか仕方ないのであるが、そのためには、日本の現状をしっかりと把握しておくことが重要である。

(「縦糸横糸」より)
2006.10.29:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

世界一の綱引き!

94.1KB - 動画再生
10月8日、沖縄で世界一の綱引きに参加できました。私が加わった”東”が8年振りに勝利しました!!
2006.10.28:反田快舟:コメント(0):[プライベート]

「人間関係のエアポケット」

伝統的な日本人の人間関係は、運命的であり、一蓮托生的である。一度関係ができると一体となって運命を共にすることを理想とする。欧米から個人主義の考えが入ってきて、これまでのベタベタした人間関係が嫌になってきて他人と「関係ができる」のをできるだけ避ける傾向がでてきた。

 自分の周囲の人と”深い関係”ができてしまうと面倒である、といって深まらない関係ばかりでは孤独感が強くなってくる。さらに男女のこととなるとさらに難しくなってくる。そこで手軽に出会い系サイトなどについ手が出てしまうのである。しかし、自分自身を守る訓練ができていないために、初対面でもまったく無防備で睡眠薬を飲まされて金品を盗まれるなど、まるでエアポケットのような文化の隙間に落ち込むような事件が生じる。

 日本人は、人間関係のあり方、男女関係などについて、今後もっと研究する必要がある。それを怠っているとテクノロジーに人間が潰されてしまうことだろう。

(「縦糸横糸」より)
2006.10.28:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「こころの中の脇役」

 自分は自分のこころの中では主役であることはもちろんだが、能に「ワキ」という役があるように、こころの中にも脇役もいることをよく認識し、その力にも頼ってはどうだろうか。

こころの中で、「シテ」のように、思考や感情が自由に動き回っている時、そこに、「ワキ」がいることによって、それらに深みが生じ、変に踏み外すことを防止してくれる。

シテだけをやっていては、行き詰ってしまうとどうにもならなくなってくる。
立元幸治は、著書「こころの出家、中高年の心の危機に」(ちくま新書」で、中高年の危機を乗り切る上で、こころの中での「出家」をしてはどうだろうかと、主張している。

考えてみると、中高年の自殺など、下手な出家ということかもしれない。
それよりも「こころの出家」をすることにより、人生の危機を乗り切り、豊かに生きられるのではないだろうか。

(ココロの止まり木より)
2006.10.26:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「友情」

友情は人間にとって非常に大切なものである。
夫婦、親子、きょうだい、上司と部下、あらゆる人間関係にとって、
それが深まってくると、その底に友情が働いていることに気づくだろう。
フレッド・ウルマン「友情」(集英社)の「私」は16歳の高校生、本当の友人はいないと思っている彼の前に、一人の転校生が現れる。

主人公の「私」は「彼」こそ真の友人になるべき人と思い定め接近していった。
「私」にとって真の友人とは「その人のためには喜んで生命を投げ出したいと思う人」である。
彼の注目を引くため、「私」は授業にも熱心になり、教師に認められるようになる。
そして、やがて「彼」との間に友情が成立する。

二人の友情がどのように展開し、ナチスの台頭という運命のいたずらに、
どのように対処したかは、ここでは触れないでおこう。
日本の高校生に、この本を読んで同級生と話し合っていただきたい。
中学生、大学生とっても意味のある本だと思う。

(ココロの止まり木より)
2006.10.26:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]