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「児童虐待防止と回り道」

児童虐待が急増している背景には、科学・技術の発達と共に、人間が実に多くのことを思うがままに効率よくできるようになったことがある。子どもが思うままにならない、あるいは、うるさい。また、上手に育てるとよい子になると考えても、その通りにならないので腹を立てる。あるいは、子どもが少しでも悪いことをすると、自分の育て方が悪いと思い、無用の自責の念が逆転して子どもを憎いと思う。インスタント思考の親は、本当に心が触れ合う人間関係の体験があまりない人が多い。

社会全体で児童虐待を防止するためには、回り道でも人と人とのつながりの楽しさ、面白さを味わう体験を、家族、学校、地域などでもっと増やすことであろう。能率ばかり考えず、手間暇かけてすることにはかけがえのない価値があることを体験することだろう。

「縦糸横糸より」
2006.11.06:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

企業の勝敗は人の能力にあり

勝負を知るための判定法には、種々あるが、孫子は六つの着眼を上げている。

①将いずれか能ある
 経営者なり、その部門の長は、どちらが優秀か。リーダーの能力をみれば勝敗ははっきりする。

②天地いずれか得たる
 環境はどちらに味方しているか、戦いの立地条件はどうか。

③法令いずれか行われる
 定められたことがよく守られ、規律が保たれているか。乱れている方には勝ち目はない。統一と指導性が問題である。

④兵衆いずれか強き
 社員はどちらが優秀なのがそろっているか。

⑤士卒いずれか練れる
 チームとしての団結力、訓練、しつけの程度はどうか。いかに個々人が優れていても、命令一下、力を結集することに欠けていては、勝負はすでについている。

⑥賞罰いずれか明らかなる
 士気というものは、賞罰をはっきりしなければ上がらない。信賞必罰というが、どちらが明確に実施されているか。

 以上をチェックすることにより、戦いを見なくても勝負はわかるというが、これを現代訳になおすと

 業績はその長の責任である。長たるものは、能あるだけではダメで、これを行動に移せる人でなければならない。

 能とは、知能をいう。経験と知識をもち、よく情勢を分析し、敵に勝る有利な条件で戦わねばならない。それがためには、決断力、判断力が優れていなければならない。

 また、経営は個人の力で行うのではなく、経営方針、経営目的に結集した社員の総合力が必要である。
 
 団結の中心になるのは規則であり、これを守る規律である。決められたことを守ることから、個は個でなく、全体の一環として働くのである。

 力を一つの方向に結集するためには訓練を重ね、一人ひとりを精鋭に鍛え上げる。さらに、やる気を出させるためにも、信賞必罰をはっきりさせ、それにも増して、深い愛情が必要である。そして、それらの総合力の差が勝負を決めることになろう。

”我これをもって勝負を知る”と孫子は結んでいるが、さて、わが社はどうであろうか。
2006.11.05:反田快舟:コメント(0):[経営箴言]

「”自分に合った仕事”というのは幻想」

自分に合った仕事をしたい。と多くの人が考えている。それは大きな勘違いだ。仕事というのは社会のニーズである。自分向きの仕事を誰かが用意してくれるわけではない。そんなものはいくら探しても見つかるものではない。
例えば、起業というのは社会にあいている穴を見つけて埋めることではないか。何か足りない、不便だと皆が思っている。それを埋めるから商売になる。穴があったら入りたい。そう考えて、とにかく仕事に就き、体を動かして現場の作業を知ることだ。どの穴も、外側から見て全体がわかるほど単純な形はしていない。入ってみないで頭でばかり考えたって何もわからないのである。そもそも”自分に合った仕事”といっても、その”自分”というのは何なのかがわからない。つまり、自分に合った仕事というのは幻想である。

(ANA社内誌「旅する脳」養老孟司より)
2006.11.05:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「クリエーティブクラス(創造者階級)」

創造性を最大の武器にIT、デザイン、マーケティングなどの分野で働く人々を指す。4年前に米国の社会学者が名づけた。収入や資産で区分するのではなく、価値観やライフスタイルで階層をくくった点が新しい。仕事と余暇の境目を意識しない。職場の机よりカフェで気分よく仕事。ものづくりや知識の習得が好き。流行は追うのではなく、つくり出す。年収はまちまちでもそんな傾向は共通する。こうした志向は若年層を中心に、業種を問わず広がっているのではないか。細かく管理の網をかける従来の発想では彼らの力は発揮されにくい、働くことの意味や形は変わりつつある。(11/5日経朝刊より引用)
2006.11.05:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「子どもと読書」

子どもに関する暗いニュースがずっと続いている。子どもたちに対して大人はもっと何かしなくてはならない。そういう考えの中で、小手先的な対策発想ではなく、「読書」ということに着目することは素晴らしいことだ。

読書を通じて、子どもの心が豊かになる、ということをはじめ、それを通じて、親子、家族、友人などなどの人間関係の深まりが生ずることになる。子どもの本は、子どものみならず大人も読むべき本である。

児童文学は、子どもの目という澄んだ目で、この世のことを見たときにどのように見えるか、ということが描かれているものである。常識によって曇ってしまった大人には見えない真実を、はっとわからせてくれる強いインパクトを持っている。

(「縦糸横糸」より)
2006.11.05:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]