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努力できることが才能である

続けるために必要なのは、満足しないこと。
自分はすごいと思ってしまえば絶対にダメです。
コンクールに出るのもいいのですが、あれはその時さえよければ結果が出るもの。

しかし、お店では、毎日がお客さんとの真っ向勝負ですよね。
毎日毎日つくるお菓子に、自分のすべてを注ぎ込んでいかなければいけない。

ホテルオークラの修業時代、5人いた同期の中でも僕が一番出来が悪かった。
覚えが悪くて、何回やってもうまくできない。
でも、今になって思うんですよ。器用でなくてよかったんじゃないか、と。

不器用で、人一倍の努力をしなければやってこれなかった人間だから、
今、こうしていられるのかなと思うんですね。
By杉野英実

(プロフェッショナル仕事の流儀1より)
2008.02.01:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

同じなのに、違う?

パリの街でペルティエの店を見て、僕はその前に立ちすくんでしまいました。
なんてきれいなんだろう。

ところが、いざ働いてみると、ペルティエの店のレシピは、その前に修行した店のレシピと全く同じ。
しかし、分量は同じでも、ペルティエは全く違ったお菓子をつくるんです。表現の仕方も違えば、味も違う。

結局、レシピというのは音楽でいうと楽譜だと思うんです。
演奏するピアニストや指揮者の技量や感性によって、表現される音楽は違ってきますね。
お菓子もそれとまったく同じ。例えば技法をほんのわずか変えることでも、味は違ってきます。
By杉野英実

(プロフェッショナル仕事の流儀1より)
2008.01.31:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

なぜ当たり前のことが大切なのか

例えば、イチゴのタルト。ぼくの店では、イチゴをキイチゴの果汁でコーティングしていますが、
仮にそれを15個つくるだけの材料が足りず、12個分くらいしかないとしましょう。
その12個分で15個をつくってしまったら、それだけ完成度が低くなるわけです。

それが分かっていながら、オープンの時間が迫っているからと、そのまま出してしまえば、
お客さんは本当においしいお菓子を食べることができません。
僕はそういうことが許せないんです。

あらゆる職業にいえることだと思うんですが、職人が楽をしようと思うと、ろくな結果にならないんです。
当り前のことをきっちり守っていけば、そのお菓子の本当の味が出せるのに、
作り手が少し気を抜いただけで、本来の味と全く違ったものになってしまいます。

僕だってどうしようと思うことがあります。でも、そこで踏みとどまれるかどうかです。
当り前のことができたら、本当においしいものができるんです。
そして、自分で100点をつけられるお菓子ができた時は、鳥肌が立つくらいに感動するんですね。
その喜びのために、また続ける、という感じです。
By杉野英実

(プロフェッショナル仕事の流儀1より)
2008.01.30:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

あなたはなにができるの?

母親に女手一つで育てられた杉野さん。
母は、食べ物にかけるお金だけは惜しまない人だった。
中学二年生の誕生日、一流ホテルのケーキを買ってくれた。
濃厚なクリームの甘味。華麗なデコレーション。まるで夢の世界からの贈り物のように見えた。
この瞬間、杉野さんは菓子職人になりたいと思った。

高校卒業後、「ホテルオークラ」の菓子製造部門に就職。
一流ホテルで働くのが誇らしく、いつも友人に自慢した。
しかし、ある日、女友達が言った。

「あなたは 何ができるの?」

杉野さんは答えられなかった。見習いの一年間、アイスクリームを錬るだけ。
一人でケーキも作れなかった。

「悔しいんじゃなくて、恥ずかしかったですね。自分をもっと高めていくことをしなければダメだと思いました」

どうすれば自分を高めることができるか。目指したのは菓子の本場、フランスでの修行。
アルバイトでお金を貯め、25歳でフランスに飛んだ。

(プロフェッショナル仕事の流儀1より)


2008.01.29:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

怒る

ぼくは、かなり大きい声を出して怒るんです。
それは、いい仕事をしたい、お客さんによい状態のものを出したいという一心からです。

お菓子に使う材料はすべて神様から与えられたものであって、
僕たちがちゃんと料理することで、それらはよい状態でお客さんの手元に届くわけです。
でも、自分たちが不注意なことをしたら、それはもう出せない。

陶芸家が、自分の作品が気に入らなくて割ったりしましよね。
あの気持ちがよくわかります。
ほんの少し、数秒違っただけでもベストな状態にはできないんです。
だから、常に気が抜けないんです。

(プロフェッショナル仕事の流儀1より)

毎回、プロのことばに接し、プロの厳しさに打ちのめされます。精神性の違いというか、覚悟の違いですかね。ただそれだけに終われば評論家、実践しなければ価値がありません。
2008.01.28:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]