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科学的教授法

竹岡さんの授業は、英単語を映像やイメージで覚える方法だ。
これは脳科学でいうクオリア(質感)の問題である。
一つ一つの言葉にはクオリアがある。

例えば「山」という単語はどんなイメージですかといったら、まず浮かぶのは富士山などの「山」ですよね。
でも、「ご飯山盛り」の山や、「試験のヤマが当たる」のヤマは意味が違う。
「やまかけそば」に至っては、「とろろ」ですよね。
でも、ぼくらはそれをいちいち一、二、三と分けて考えていない。たぶん、山は「山」なんですよ。

つまり、単語の持ついろいろな意味を考えるときに、その場面場面で意味が決まる。
一つの単語に意味がいっぱいあるのではなく、すべては場面で決まるのだと気づいた。
ただ、その中に共通のイメージがある。山なら山の大きなイメージが。
それを英語で教えているのです。

(プロフェッショナル仕事の流儀3より)

2008.04.03:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

学力でクラス分けしない理由

高校生って、本当に突然変わるんですよ。だから一番ダメなのはレッテルを貼ること。
生徒は教師からだけでなく、家でも十分レッテルを貼られているんですよね。
「お父さんは高卒、お母さんも高卒。だから、お前も大したところには受からない」とか、
逆に「お父さんもお母さんも東大。だから、お前も東大」とか。

いったんそういうレッテルを貼ってしまうと、結構そのとおりに動いてしまうんですよ。
つまり、先入観。教師の側もついつい、そのレッテルを貼ってしまうのですね。
「できるクラス」と「できないクラス」とか、それをやると。できるクラスの子は、伸びることはありけれど、
下のクラスに落ちると、もう絶対に伸びなくなる。

もう一つは、「できるクラス」の子は、意外とダメになっちゃうんですよ。
できるといってもまだまだ発展途上の高校生ですから、基本事項でも抜けているところがいっぱいあるんです。
だから、いわゆるできない子に合わせて教えると、できる子がひそかに「ああそうだったんだ」。といまさら聞けない復習ができる。
クラスそのものが「小さな社会」なんです。

(プロフェッショナル仕事の流儀3より)
2008.04.02:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

質問に答える授業をするわけ

生徒から質問を受ける授業で、竹岡さんは資料を取りに家に帰ることもあるという。

「これが大事だ」と人から与えられるものと、「これはどういうこと?」と自分から聞くのとでは、全然違うんですよね。

知りたいと思っているのだから、質問したときが学習の最大のチャンスなんです。
ですから、そのチャンスを逃さない。
それに時間をかけると印象に残ると思うんです。

最近は、難しい質問も多いですから資料を取りに家に帰るもあります。
そんな時間があれば、もっとたくさんのことを教えられるのですが、
それは教師の自己満足だと思うんです。

結局、習ったことなんてあまり覚えてないですしね。

(プロフェッショナル仕事の流儀3より)

2008.04.01:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

寺小屋スタイルと掃除の意図

竹岡さんの塾は畳に座布団という寺小屋スタイルである。
また、講義が終わった後に生徒全員で掃除を行っている。

実は寺小屋スタイルの方が、いじめとか起こらないんです。
椅子がないから、何となく生徒間の距離が近いんです。
机も数人で一人だから、教師対生徒でちょうど敵・味方みたいになり、生徒同士に一体感が生まれる。
できない子に合わせるという目的にかなっているんです。

勉強ができないというのは、本人のやる気以外にも、家庭環境などいろいろな要素があると思うんですね。
だから、絶対横一線ではない。
けれども、もっと長いスパンで見たら人生では勉強ができるとかできないとかは微々たることなんですよね。

掃除は、みんな諦めてやっています。最初来たときは「何で?」って思っているでしょうね。
僕は、「自分が使った後なら片付けるでしょ。以上です」という。
知識なんて全部なくなるんです。ただ、掃除したという事実はたぶん残ると思うんです。

たぶん、これからもある場所を使ったら掃除すると思うんです。
それがどんな場面かわかりませんが、結構大事なことだと思うんですね。
使った後、当番の人が掃除している姿を見て、自分だけ帰る。そういう人は嫌ですね。

(プロフェッショナル仕事の流儀3より)
2008.03.31:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

困難から逃げるな

生徒に全力で壁に立ち向かえと言い続けてきた責任を、竹岡自身が問われた授業がある。
2005年の春、一人の生徒が入校してきた。本城令子さん。
耳が不自由なため、講師の口の動きと、友人のメモを頼りに授業を受けていた。

それを知った竹岡は、授業のやり方を根本から変えた。
話す内容をすべて黒板に書く。毎週毎週、話す内容をひたすら黒板に書き続けた。
ワイシャツの裾を出しながら書き続けるその姿から、ただならぬ熱意が伝わってくる。

自分のために始まった異例の授業に、本城さんも正面から向き合った。
「自分が頑張らなあかんっていう苦労とか、そういうものを分け持ってくれた感じがして。みんなと同じように授業を受けられることがすごいうれしかった」
(本城さん)

クラス最後の授業の日。竹岡は、感謝と激励のメッセージを黒板に書きなぐり、「はい終わり!」と授業を締めくくった。
黒板にはこう書かれていた
「一番うれしかったことは、こんな授業をしていたのに、だれも文句をいわなかったこと。あんたはえらい!!よって合格してこい!!」

授業を終えて職員室にいた竹岡のもとに一人の生徒がやってきた。
「手紙書いてきたんです。私、令ちゃん(本城さん)と仲が良くて。私も片腕が使えないんですよ。だから、同じ障害を持つものとしたら、
すごいうれしかって。先生みたいな人がもっといると、夢をかなえたい人とか、もっと夢が広がったりするのにと思って。
ここにきて一番よかったと思うのはそれやったから、どうしても伝えたくて」

思いがけず、教え子から差し出された手紙。
一年間の思いがこみ上げる。竹岡の目頭が熱くなった。
授業は生徒との真剣勝負。竹岡の熱い気持ちは、確かに生徒たちに届いていた。

(プロフェッショナル仕事の流儀3より)
2008.03.30:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]