困難から逃げるな

生徒に全力で壁に立ち向かえと言い続けてきた責任を、竹岡自身が問われた授業がある。
2005年の春、一人の生徒が入校してきた。本城令子さん。
耳が不自由なため、講師の口の動きと、友人のメモを頼りに授業を受けていた。

それを知った竹岡は、授業のやり方を根本から変えた。
話す内容をすべて黒板に書く。毎週毎週、話す内容をひたすら黒板に書き続けた。
ワイシャツの裾を出しながら書き続けるその姿から、ただならぬ熱意が伝わってくる。

自分のために始まった異例の授業に、本城さんも正面から向き合った。
「自分が頑張らなあかんっていう苦労とか、そういうものを分け持ってくれた感じがして。みんなと同じように授業を受けられることがすごいうれしかった」
(本城さん)

クラス最後の授業の日。竹岡は、感謝と激励のメッセージを黒板に書きなぐり、「はい終わり!」と授業を締めくくった。
黒板にはこう書かれていた
「一番うれしかったことは、こんな授業をしていたのに、だれも文句をいわなかったこと。あんたはえらい!!よって合格してこい!!」

授業を終えて職員室にいた竹岡のもとに一人の生徒がやってきた。
「手紙書いてきたんです。私、令ちゃん(本城さん)と仲が良くて。私も片腕が使えないんですよ。だから、同じ障害を持つものとしたら、
すごいうれしかって。先生みたいな人がもっといると、夢をかなえたい人とか、もっと夢が広がったりするのにと思って。
ここにきて一番よかったと思うのはそれやったから、どうしても伝えたくて」

思いがけず、教え子から差し出された手紙。
一年間の思いがこみ上げる。竹岡の目頭が熱くなった。
授業は生徒との真剣勝負。竹岡の熱い気持ちは、確かに生徒たちに届いていた。

(プロフェッショナル仕事の流儀3より)
2008.03.30:反田快舟:[仕事の流儀]

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