昔話には普通の感情は語られない。
「手なし娘」という話では、父親が娘の手を切るが、そのときの娘の痛さや悲しみについては語られない。
「シンデレラ」の話で、母親が自分の娘の足を靴に無理やりはめ込むために、娘の足を削るときも娘の感情については、まったく触れられない。
実生活においては、娘の手を切ったり、足を削ったりする親はめったにいない。そんなことを「お話」として語ることにより、聴衆はそれをすべて「あったこと」として聴く。だからこそ、娘が手を切られたりすると、強い感情は聴き手の方に生じる。
「そんなひどいことを」とか「そんな馬鹿げたことが」と思っているうちに、実際は多くの親が、娘と恋人との間の「手を切る」ことや、大学の「狭き門」に入れ込むために、子どもの「身を削る」ことなどをやっていることに気づく。
つまり、自分があまりその意味に気づかずにしている行為を拡大して示してくれることによって、そこで感じるべき感情を体験するようにしている。
これが「お話」の特徴である。「お話」によって、はじめて真実が伝えられるのである。
(「人生学ことはじめ」より)
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