「家族」

科学やテクノロジーの発達によって、現代人は何でも自分の思いのままになると思い込んでいる。

しかし、一番自分の思いのままにならないのが家族ではなかろうか。子どもを自分の思うようにするのは至難の技である。自分の意志や能力を超えるものが存在することを実感できるという点で、家族関係は、現代人に宗教性を感じさせる糸口になるのではないだろうか。

 実際に、子どもは多層的、多義的な存在であって、意地悪、残酷、悪の心を含んでいる。その悪いことを行動に表し、それが失敗に終わるという経験を通して子どもは人間に成長していく。

その成長の機会を、いわゆる良い子にしようとする親は摘み取ってしまうのである。けんかやウソはいけないとガミガミいう方が楽である。むしろ言わずに抑えることの方が苦労を伴う。

つまり、子どもが悪を経験し失敗し、そして人間として成長していく過程を見つめるということは、親にとってみれば何かを言いたい気持ちと戦い、それに耐え、大きなエネルギーを消費しているのである。

(「人生学ことはじめ」より)

2006.11.24:反田快舟:[自分を見つめる]

この記事へのコメントはこちら

※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。