電車内で携帯電話を使う人は、それが他人に対して不快感を与えていることに全く気づいていない。他人を不愉快にしてまで一分一秒を節約しようとする人が、どれほど時間を本当に大切にしているか大いに疑問である。
また、会議の途中、携帯電話の呼び出しで室外に出て行く人がいる。中には講義中にかかってくる携帯電話に出る大学教授もいるという。これは、生きていく基本姿勢として、少しでも早く外から来る情報をキャッチしないと損をすると思い込んでいる。「今、ここの自分」に満足できず、何か少しでも新しいことを早くキャッチしなければ、と思い落ち着きがないのである。
常に外とのつながりを求めつつ自己中心的である姿は、自己に深く沈潜することによって他とのつながりを見出していく態度とは全くの対極をなしている。現代人の人間関係の希薄さ、まずさは、その根本として、自分の内面とのつながりが切れていることにある。それを外とのつながりによって補償しようとするのである。
このような姿は、根が切れた木が、互いに枝を絡み合わせて、やっと立っているのに似ている。辛うじて倒れずにいるが、やがては枯れてしまうことだろう。この空しい枝の絡み合いを、ネットワークなどと呼んでいるのである。
(「縦糸横糸」より)
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