ウソをつけないほうがもっと悪い。
ウソをつきとおすことに伴う精神的エネルギーの大変さを感じたことのない人はないでしょう。
だからか、私たちはウソをつきとおすことは、たいていの場合できません。
思い余って正直に告白したり、それとなくほのめかすこともあります。
ウソをつかれると、その人にウソつきのレッテルを貼りますが、ということはその瞬間、人はそれをウソと知っているということで、それはウソでもなんでもない。そこにはウソは存在しないということではないでしょうか。
ウソをつける精神力を養おうといったらウソになるでしょうか。
(こころの日曜日より)
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