「ウソつきは精神的健康の始まり」

 ウソをつけないほうがもっと悪い。
ウソをつきとおすことに伴う精神的エネルギーの大変さを感じたことのない人はないでしょう。

だからか、私たちはウソをつきとおすことは、たいていの場合できません。
思い余って正直に告白したり、それとなくほのめかすこともあります。

ウソをつかれると、その人にウソつきのレッテルを貼りますが、ということはその瞬間、人はそれをウソと知っているということで、それはウソでもなんでもない。そこにはウソは存在しないということではないでしょうか。

ウソをつける精神力を養おうといったらウソになるでしょうか。

(こころの日曜日より)

2006.10.14:反田快舟:[自分を見つめる]

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