道草によってこそ「道」の味がわかる

子供の頃、道草をしてはいけません。とよく言われたものである。しかし、子供にとって道草ほど面白いものはなかった。
道草をせずにまっすぐ家に帰った子は、勉強をしたり仕事をしたり、マジメに時間を過ごしただろうし、それはそれで立派なことであろうが、道の味を知ることはなかったというべきであろう。

生き方の道として、目的地にいち早く着くことのみを考えている人は、その道の味を知ることがないのである。もっとも、道草によってこそ道の味がわかると言っても、それを味わう力を持たねばならない。そのためには、それを眺める視点をもつことが必要と思われる。

(こころの処方箋より)
2006.10.02:反田快舟:[自分を見つめる]

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