「一人でも二人、二人でも一人で生きるつもり」

一人で楽しく生きている人は、心の中にパートナーを持っている。
「内なる異性」「内なる母や父」「もう一人の私」かもしれない。
ともかく話し相手が居るのである。
人間は自分の考えを他人と話し合うことで、随分と楽しむことができるし、客観化することもできる。

一人で生きていくためには、そのような意味で「二人」で生きていくことができねばならない。
二人で生きている人は、一人でも生きられる強さを前提として、二人で生きていくことが必要である。

無意識的寄りかかりや、抱き込みが強くなりすぎると、お互いの自由を奪ってしまい、たまらなくなってくるのである。
一人でも生きていける人間が二人で生き、お互いに助け合っていくところに楽しみが見出せるのである。

(こころの処方箋より)
2006.10.02:反田快舟:[自分を見つめる]

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