鹿嶋は、小学校時代の恩師に憧れて教師の道に進んだ。
校内暴力が問題になりはじめた時代。
赴任した二校目で、初めて荒れたクラスを受け持つ。
授業中、生徒が教室を抜け出すのは日常茶飯事、いじめも起こっていた。
若い鹿嶋は、なりふり構わず生徒に向かっていくしかなかった。
生徒をどこまでも追いかけ、いじめる子には泣きながら訴えた。
一日おきに学級通信を出し、生徒や保護者に自分の信条を訴えた。
次第に、いじめも教室からの抜け出しもなくなった。
鹿嶋は、”女金八先生”と慕われるようになった。
さらに、30代後半、新しい教育法エンカウンターを学び、意欲的に実践し、教師としての自信を深めていった。
その自信が打ち砕かれたのは、40歳で4つ目の中学校に移ったときだった。
意気揚々と担任のクラスに向かった鹿嶋は、教室に入るなり、激しい罵声を浴びせられた。
「うざいよ、ババア」「失せろ」
生徒たちが、机の上を走り回り、理科の実験では、火のついたマッチが飛ぶ。
学級崩壊が起きていた。
鹿嶋は、「立て直してみせる」と意気込み、来る日も来る日も生徒たちに熱く語りかけた。
つづく
(プロフェッショナル仕事の流儀15 File No44より)
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