北村は、1歳の時に病気のため立つことができなくなった。
5歳まで長い闘病生活を強いられた。
そのとき心に刻まれたのが、優しく接してくれた看護師の姿。
それが将来を決めるきっかけとなった。
21歳で看護学校を卒業。大阪府内の病院に勤めはじめる。
担当になったのは集中治療室。
重篤な患者ばかりが運び込まれる医療の最前線だった。
命と向き合う壮絶な現場で、必死に仕事に打ち込んだ。
看護師になって4年目のことだった。
6歳の少女が心停止の状態で運び込まれてきた。
北村たちは必死に心臓マッサージを行った。
しかし、そのかいなく少女は息を引き取った。
ふと、根本的な疑問が湧き上がってきた。
医療とは何か、看護とはどうあればいいのか
日に日に募る無力感。30歳の時、看護学校の教員に転職した。
それから7年後、高校時代の友人が臓器移植を受けた。
しかし、手術が終わって数週間後、容体が急変し亡くなった。
北村は、家族と一緒に亡骸を拭いてあげることしかできなかった。
猛烈な悔しさが込み上げてきた。
友人として見舞っただけの自分。なぜ看護師として、ベッドサイドに立たなかったのか。
友達は死んで、自分は生きているという事実。
その時、もう一度クリティカルケアの現場に戻りたいと思った。
看護の世界で何ができるか極めたい。
北村は、高度な能力を持つ専門看護師になるという目標を掲げた。
仕事の傍ら、猛勉強を始め、3年半かけて大学、そして大学院の修士課程まで修了。
認定試験に合格し、重篤患者を専門に扱うクリティカルケア看護初の専門看護師となった。
(プロフェッショナル仕事の流儀14 File No.41より)
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