諦めずに続けられたのはなぜか

どう答えていいかわからないのですが、ばかになればいいのではないでしょうか。
私は、自分の母や妻を犠牲にして、麻酔学の基礎を築いた華岡青洲を尊敬しています。

私のやってきたことは忘れられてもいいんです。
「肥料や農薬を使わなくても農作物は継続的に生産可能だ」ということだけを伝えていきたい。

私が続けられたのは、後戻りできない状況だったからです。
丸太に家族全員がしがみついて太平洋にでたようなもので、行き先も、いつ着けるかもわからない。

自分が先導したそんな航海にすごく責任を感じていたので、簡単にやめて終わりにしたくなっかったのです。
その一念で、八年も続けられたのではないでしょうか。

By木村秋則

(プロフェッショナル仕事の流儀13 File No.35より)
2009.01.05:反田快舟:[仕事の流儀]

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