こだわりを捨てる

徳岡の祖父は、昭和初期、和食の世界に旋風を起こした湯木貞一。
「最高の食材をさりげなく」という演出にこだわり、料理人として初の文化功労
者となった。
湯木は一代にして高級料亭を全国各地に構え、日本料理界にその名をとどろかせた。

徳岡が料理の道に入ったのは15歳のとき。
大阪や東京の姉妹店で修業を重ね、やがて、頭角を現す。
7年後、修業を終えた徳岡は、意気揚々と嵐山に戻った。

しかし、周囲の反応は冷ややかだった。
ベテランの板前たちの陰口が聞こえてきた。
「苦労知らずのお坊ちゃん」
一時は、ノイローゼみたいになった。

そのころ、店にも異変が起きた。
バブル崩壊で、接待客が激減し、売上が大きく落ち込んだのだ。
料理長をはじめ、10人の料理人が見切りをつけ辞めていった。
その結果、35歳の徳岡が、料理長になった。

しかし、落ちはじめた客足は止まらない。
経営会議に出るたびに、怒鳴られた。
「お前がいるからだめなんだ」。

「吉兆は三代目になって、つぶれた」といううわさも流れた。
根も葉もないうわさ話が、徳岡を奮い立たせた。
すがるような気持ちで、スタッフに客の声を拾ってもらった。

間もなく本音が聞こえてきた。
若い客は、和風のおさえた味を単調で物足りないと感じていること。
日本酒よりも、ワインやシャンパンに合う料理を好む客が、増えていること。

こだわってきた祖父の料理は、時代に合わなくなっていることに気づいた。
「吉兆はこうあるべきだ、とか湯木貞一はこういう人とか、にこだわっていたん
ですね」
徳岡はなりふりかまわず、新たな料理に取り組んだ。

次第に、日本料理の枠にとらわれない、新しい味が生まれ始めた。
ある日、客の一人が言った。
「料理に勢いが出てきたね」
追い詰められて、こだわりを捨てたとき、初めて開けた新しい道だった。

(プロフェッショナル仕事の流儀7 File No.21より)
2008.07.07:反田快舟:[仕事の流儀]

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