アートディレクター佐藤可士和はいう。
センスや感性が問われる一方で、医師のように論理的な仕事が求められるのだと。
例えば、「これは面白い」と感じた時に、「どうして面白いと思うんだろう」ということを
相当突き詰めて考えます。
そうすると、いろいろとキーワードが出てきたり、自分の思考がひもとかれていくのですが、
それをうまく並べ替えて、「なるほど、こういうロジックで面白いと感じるのか」ということが整理できたら、
すごく論理的になる。
論理というのは、「なぜこうなんだ」という理由ですね。
こういう仕事をしていると、全部感覚に頼ってばかりだと、アベレージが保てない。
ですから、精度を上げ、必ずアベレージを保てるように、自分の思考を分析します。
(プロフェッショナル仕事の流儀2より)
凡人には、論理的には考えられても、肝心のアイデアがなかなか出てきません。
でも、論理で面白さを整理するということはとても参考になります。
センスのある人が論理的であれば、鬼に金棒ですね。
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天職とは何か
僕はこの仕事を天職だと思っているんですね。
何かに導かれてここまで来たような気がしているんです。
91年の「クープ・デュ・モンド」(洋菓子の世界大会)でチャンピオンになったときも、
予選を勝ち抜いたわけではなくて、推薦してくださった方がいたから出場できた。
予選があったら、たぶん出られなかったでしょう。
見習いのときには、「お前は向いていない」と何回も言われました。
先輩に辞めろと言われたことも一度や二度ではありません。
でも、僕は中学生のときに感動を受けて以来、ずっとこの仕事をしたいと心に決めてきたわけですから、
絶対に続けようと思いました。
そうやって続けてきた結果が今の自分なのだ、という気がします。
By杉野英実
(プロフェッショナル仕事の流儀1より)
何かに導かれてここまで来たような気がしているんです。
91年の「クープ・デュ・モンド」(洋菓子の世界大会)でチャンピオンになったときも、
予選を勝ち抜いたわけではなくて、推薦してくださった方がいたから出場できた。
予選があったら、たぶん出られなかったでしょう。
見習いのときには、「お前は向いていない」と何回も言われました。
先輩に辞めろと言われたことも一度や二度ではありません。
でも、僕は中学生のときに感動を受けて以来、ずっとこの仕事をしたいと心に決めてきたわけですから、
絶対に続けようと思いました。
そうやって続けてきた結果が今の自分なのだ、という気がします。
By杉野英実
(プロフェッショナル仕事の流儀1より)
努力できることが才能である
続けるために必要なのは、満足しないこと。
自分はすごいと思ってしまえば絶対にダメです。
コンクールに出るのもいいのですが、あれはその時さえよければ結果が出るもの。
しかし、お店では、毎日がお客さんとの真っ向勝負ですよね。
毎日毎日つくるお菓子に、自分のすべてを注ぎ込んでいかなければいけない。
ホテルオークラの修業時代、5人いた同期の中でも僕が一番出来が悪かった。
覚えが悪くて、何回やってもうまくできない。
でも、今になって思うんですよ。器用でなくてよかったんじゃないか、と。
不器用で、人一倍の努力をしなければやってこれなかった人間だから、
今、こうしていられるのかなと思うんですね。
By杉野英実
(プロフェッショナル仕事の流儀1より)
自分はすごいと思ってしまえば絶対にダメです。
コンクールに出るのもいいのですが、あれはその時さえよければ結果が出るもの。
しかし、お店では、毎日がお客さんとの真っ向勝負ですよね。
毎日毎日つくるお菓子に、自分のすべてを注ぎ込んでいかなければいけない。
ホテルオークラの修業時代、5人いた同期の中でも僕が一番出来が悪かった。
覚えが悪くて、何回やってもうまくできない。
でも、今になって思うんですよ。器用でなくてよかったんじゃないか、と。
不器用で、人一倍の努力をしなければやってこれなかった人間だから、
今、こうしていられるのかなと思うんですね。
By杉野英実
(プロフェッショナル仕事の流儀1より)
同じなのに、違う?
パリの街でペルティエの店を見て、僕はその前に立ちすくんでしまいました。
なんてきれいなんだろう。
ところが、いざ働いてみると、ペルティエの店のレシピは、その前に修行した店のレシピと全く同じ。
しかし、分量は同じでも、ペルティエは全く違ったお菓子をつくるんです。表現の仕方も違えば、味も違う。
結局、レシピというのは音楽でいうと楽譜だと思うんです。
演奏するピアニストや指揮者の技量や感性によって、表現される音楽は違ってきますね。
お菓子もそれとまったく同じ。例えば技法をほんのわずか変えることでも、味は違ってきます。
By杉野英実
(プロフェッショナル仕事の流儀1より)
なんてきれいなんだろう。
ところが、いざ働いてみると、ペルティエの店のレシピは、その前に修行した店のレシピと全く同じ。
しかし、分量は同じでも、ペルティエは全く違ったお菓子をつくるんです。表現の仕方も違えば、味も違う。
結局、レシピというのは音楽でいうと楽譜だと思うんです。
演奏するピアニストや指揮者の技量や感性によって、表現される音楽は違ってきますね。
お菓子もそれとまったく同じ。例えば技法をほんのわずか変えることでも、味は違ってきます。
By杉野英実
(プロフェッショナル仕事の流儀1より)
なぜ当たり前のことが大切なのか
例えば、イチゴのタルト。ぼくの店では、イチゴをキイチゴの果汁でコーティングしていますが、
仮にそれを15個つくるだけの材料が足りず、12個分くらいしかないとしましょう。
その12個分で15個をつくってしまったら、それだけ完成度が低くなるわけです。
それが分かっていながら、オープンの時間が迫っているからと、そのまま出してしまえば、
お客さんは本当においしいお菓子を食べることができません。
僕はそういうことが許せないんです。
あらゆる職業にいえることだと思うんですが、職人が楽をしようと思うと、ろくな結果にならないんです。
当り前のことをきっちり守っていけば、そのお菓子の本当の味が出せるのに、
作り手が少し気を抜いただけで、本来の味と全く違ったものになってしまいます。
僕だってどうしようと思うことがあります。でも、そこで踏みとどまれるかどうかです。
当り前のことができたら、本当においしいものができるんです。
そして、自分で100点をつけられるお菓子ができた時は、鳥肌が立つくらいに感動するんですね。
その喜びのために、また続ける、という感じです。
By杉野英実
(プロフェッショナル仕事の流儀1より)
仮にそれを15個つくるだけの材料が足りず、12個分くらいしかないとしましょう。
その12個分で15個をつくってしまったら、それだけ完成度が低くなるわけです。
それが分かっていながら、オープンの時間が迫っているからと、そのまま出してしまえば、
お客さんは本当においしいお菓子を食べることができません。
僕はそういうことが許せないんです。
あらゆる職業にいえることだと思うんですが、職人が楽をしようと思うと、ろくな結果にならないんです。
当り前のことをきっちり守っていけば、そのお菓子の本当の味が出せるのに、
作り手が少し気を抜いただけで、本来の味と全く違ったものになってしまいます。
僕だってどうしようと思うことがあります。でも、そこで踏みとどまれるかどうかです。
当り前のことができたら、本当においしいものができるんです。
そして、自分で100点をつけられるお菓子ができた時は、鳥肌が立つくらいに感動するんですね。
その喜びのために、また続ける、という感じです。
By杉野英実
(プロフェッショナル仕事の流儀1より)