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失敗を楽しめ

量子テレポーションの精度を上げる実験が始まった。
5年前から試行錯誤を繰り返し、改良を重ねてきたものだ。
「今日、世界記録を出すはずです」

赤外線を走らせ、その光の揺らぎの幅を測定する。
揺らぎが狭いほど、テレポーションの精度は高まる。
計測器の画面の青い線が、黄色い線から一マス以上上がれば世界記録となる。

暗闇の中で最後の微調整が続く。結果が出た。
「おー、7.1ですね」
世界一の快挙だ!

しかし、最前線の実験は99%以上が失敗だ。
どんなに根性のある研究者でも、音を上げそうになる。
そんなとき、古澤は大事にしている流儀がある。

「失敗を楽しめ」

失敗が日常の最先端の現場。だからこそ、恐れていては前に進めない。
失敗は、新しい課題や道筋を教えてくれる。
この日も新しい方策が見つかった。

「今度は成功しますか?」古澤がそう聞くと、
研究員は答えた。「今度は成功すると思います!」

(プロフェッショナル仕事の流儀2より)
2008.02.29:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

科学は最高のスポーツ

東京大学工学部六号館。古びた廊下の突き当たりに人類の未来を切り開く場所がある。
ある物の状態が一瞬にして別の場所に現れる”テレポーション”。
SF映画の夢の技術が、ミクロの世界で起きることを証明して見せた。

成功したのは、量子物理学者・古澤明、44歳。将来ノーベル賞との呼び声も高い。
古澤がテレポーションを使ってめざすのは、未来のコンピュータと呼ばれる「量子コンピュータ」だ。
それが実現できれば、新薬の開発や地球規模の気象予測など、あらゆる分野に画期的な進歩をもたらす。

道の領域を探る古澤の実験室は、失敗との果てしなき戦いの場だ。
何度失敗しても、そのたびに立ちあがり、振り出しからやり直す。
その姿勢はアスリートに似ていると古澤はいう。
「科学は最高のスポーツだ。ホームランを狙え」と。

科学はスポーツです。勉強は“腕立て伏せ・腹筋”という基礎トレーニングで、学生とか研究員クラスはプレーヤー。
大学の先生は監督で、その勝負のすべての責任を負うと。
監督である古澤の仕事は、研究のテーマを決め、選手を動かすこと。

古澤は、実験のやり方はすべて“選手”に任せる。出勤、退勤の時間も自由だ。
“選手”に求めるのはただ一つ、「頭脳より根性」。
「個々の人間の頭がいいとか悪いとか、能力というのは大差ないので、根性があれば多少頭の回転がイマイチでも、
ものすごい力を発揮します」

(プロフェッショナル仕事の流儀2より)

ここでいう根性とは、目標に挑み成し遂げようとする執念をいうのだろう。
いわゆる“浪花節的根性”では長続きしない。
2008.02.28:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

行動してこそ偶然に合える

人間の脳は、本当に不思議な能力を持っている。
「欠点が長所になる」というのもその一つである。

例えば、コミュニケーションこそが人間の知性の本質である。
だからといって、スムーズに他人と折衝できる人だけが大成するわけではない。

弁護士は言うまでもなく、人と面談し折衝するのが仕事の大部分を占めている。
人づきあいが苦手というのは致命的のように思えるが、宇都宮さんのように欠点を逆手にとって、他の誰も生み出し得なかった仕事の流儀を確立する人もいる。

そのような独自のスタイルが、人づきあいが苦手であるという欠点を克服するところから生まれているという点に、しみじみと味わうべき人生の真実があるように思う。

社会は一つの複雑な生態系である。多様な人間がいて、いろいろな仕事がある。
自然における生態系の中に様々なニッチを占めるユニークな異彩を放つ生物がいるように、どんな人でも、必ず自分にあった居場所を探すことができるはずである。

By茂木健一郎

(プロフェッショナル仕事の流儀2より)

じつは私も人づきあいが苦手でセールスに挫折した経験がある。
それを克服し、これまでやってこれたのは、できるだけ人に会わないでセールスする方法をひたすら考えたこと。
訪問より電話、電話より手紙。特に手紙は、こちらの言いたいことが確実に伝わる最高のコミュニケーション手段だ。
今の時代にこそ、手紙の威力は増しているのではないか。

2008.02.27:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

宇都宮健児のプロフェッショナルとは

プロフェッショナルとは、弱者のためにとことんやる人、徹底的にやっている人だろうと思います。
もう少し広く考えれば、「他人のために頑張れる、一生懸命に仕事をやっている人」。

私の分野だと、かなり徹底してやらないとダメですね。
目の前の人の救済に終わるのではなく、そういうものを生み出す社会構造や、
背後に隠れている何百万もの多くの被害者に思いが及ばないと、その救済活動も不徹底になると思うんです。

ですから、プロフェッショナルとは、社会的責任をどれだけ自覚しているかということ。
当然、仕事の誇り、倫理観を持っていないといけない。

(プロフェッショナル仕事の流儀2より)

プロフェッショナルの道は遠くかつ険しい。
休まず歩んで行けばいつかはたどり着けるか?
たどり来ていまだ山麓かもなあ・・・。
2008.02.26:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

人は何のために働くのか

私自身、非常に尊敬するのは自分の両親なんです。
父親は傷痍軍人で、私の兄弟はその恩給で大学まで行くことができました。
両親はミカン農家をやっています。

山を開き畑にして、麦や芋、野菜をつくり子どもを育てた。
どんなに仕事がつらくても、泣き言一ついわないで黙々と働いていました。
そういう親の影響をものすごく受けています。

親は、働く意味とかそんなことはほとんど口にしません。
ただ子どもたちのため。それが立派なことなんですよ。
ですから、自分の子どもには、弁護士を継げなんて言いません。

まず、自分で生活できること。
そして、少し周りに目を向けてん、本当に困っている人がいたら、それに目を向けてあげること。
人それぞれに、左官をやったり、大工をやったり、農業をやったりしている。
それが、すごく立派なことで、それが日本の社会を支えていると思います。

By宇都宮健児

(プロフェッショナル仕事の流儀より)

2008.02.25:反田快舟:コメント(1):[仕事の流儀]