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職人として絶対に譲れないもの

自分で失敗したと思ったとき、絶対そのままにはしておきたくないですね。
お客さんは、失敗したとは思っていない場合もたくさんあるんです。
塗った壁を壊していると、「どこが悪かったんですか」と聞かれますが、
自分の水準に達していなければ何度でもやり直すだけです。

言わなければわからない世界なんですが、自分が納得できないものは絶対にごまかしません。
自分のできる限界でいい仕事を続けていって、「おまえの好きなようにやっていいよ」という人に出会いたいんですよ。
失敗しても適当に済ませていたら、そういう人にはきっと巡り合えないと思うんです。
だから、いい人に巡り合うためにも妥協しません。

By挟土秀平

(プロフェッショナル仕事の流儀3より)

類は友を呼ぶというが、超一流のプロの厳しさに圧倒される。
仕事に妥協していないか?毎日反省を怠らずに精進したいと思う。
自分の歩いてきた足跡が自分の生き様だから。
2008.03.26:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

不遇の時代を乗り越えるために

何かをつかむチャンスは誰にもあると思うんです。年齢は関係ない。
何かができるようになって、そこから自分の可能性がどんどん広がっていくのがわかるときがあるんですよね。

今、恵まれない状況にいる人でも、絶対に変われると思います。
ただし、一つのことを続けているかどうかが大切。
一つことをずっと続けてきたなら、それは必ず応用できるはずです。

僕の場合、この仕事を続けられた理由はこれしかなかったからです。
鳴かず飛ばずの時代に体験したことは、決して無駄になっていません。
むしろ、それがなかったらダメでしょうね。

苦しいことを乗り越えてきたから、「絶対にできる」と思える強さが身についたのだと感じています。
この仕事で、何がどうなっているのかわかったり、きっとこうだろうと想像できたりするのは、ずっと長く続けてきたからでしょうね。

By挟土秀平

(プロフェッショナル仕事の流儀3より)


どんな人生にも苦しくて苦しくて逃げ出したい時期は誰にも訪れるのでしょう。
そこでグッと踏みとどまれるかどうかが、わかれ道のような気がします。
確かに適性というのはあると思いますが、10年続ければ大抵のことは身につくと確信できるようになりました。

「何をしているかでなく、何をつづけているかである」(一燈園 石川 洋)
2008.03.25:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

成功への道を歩めたキッカケ

30代までは平凡な左官だった挟土さんが、カリスマとまで言われるようになったキッカケはなんだろうか?

左官に関する、素晴らしい文章を読んだんですよ。土には黄色い土と赤い土とがあって、
粘性があって、こういうふうにひび割れるのも美しいとか、左官という仕事がいかに素敵であるか、
というようなことを実に豊かな表現で書いている方がいたんです。

その方の文章を読み続けているうちに、いつの間にか自分の腕が上がっていったような気がします。
ずっと枕元において、繰り返し読んでました。
練習とは別のもの、言葉とか気持でも腕は上がっていくんだなと思いました。


言葉の力というのは、すごいものがあると思うんです。いい言葉を聞くと、そこからパーッとイメージが広がったり・・・。
自分があって、風景があって、風景が言葉になって、すべてが一つのサイクルになっているような気がします。

(プロフェッショナル仕事の流儀3より)

挟土さんはアーティストであり、ロマンティストですね。
言葉は命といいますが、物事の本質をつかんだ言葉は感動と共に、時に人生をも決定づけます。
私も、田辺昇一先生の「人間の魅力」に出会ったからこそ今の自分があると思っています。
2008.03.24:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

独立後、初めて仕事が来たとき

独立して、最初に仕事が来たときは、「これで生きていける」という嬉しさでしたね。
独立直後は、本当に悲惨な状態でした。
事務所には電気も水道もない。トイレもなければ屋根もない。

夜は眠れず、暗い中でジーッと考えていましたが、その時間はすごく大事だったと思います。

あの頃仲間が六人いたのですが、その仕事をやっている間は食べさせいける。だから、徹底的に研究しました。

そんな仕事が専門誌の表紙になったときは、本当に嬉しかった。

ただ、それでも不安でした。
壁って動くんですよ。完成から一年経ってから問題が出てくる。
だから嬉しいという気持ちは、その瞬間だけでしたね。

(プロフェッショナル仕事の流儀3より)
2008.03.23:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

使えない“チャンピオン”といわれて

長い間、挟土は臆病な自分にコンプレックスを抱いていた。
左官職人の二代目として生まれた挟土。人見知りする気弱な子供だった。
高校卒業後、本格的に修業を開始。2年後、「技能五輪」左官の部で優勝、前途洋洋たるスタートだった。

日本一の肩書を手に名古屋の左官会社に就職。しかし、現場に出るなり怖くなった。
モルタルや仕上材など、左官の現場で使う材料は数百種類に上る。
技能五輪で使ったのは数種類。大会用に磨いた技と知識では全く追いつかないのだ。

「できないんだけど、俺はチャンピオンだからと、聞けないんですよ」
臆病を隠そうと粋がる挟土。当然周囲との軋轢も生まれる。
ある日、仕上げた直後のモルタルの壁に、先輩職人がいきなり拳で跡をつけた。

やがて陰口も聞こえてきた。「使えないチャンピオンだ」
いつまでたっても周囲に溶け込めず、ストレスで髪が抜けた。
30歳を過ぎても鳴かず飛ばずの日々が続いていた。

35歳のとき、転機が訪れた。
偶然引き受けた江戸時代の土蔵の解体。挟土の目は、その扉に釘付けとなった。
天然の石灰に墨を混ぜ、コテで仕上げた黒漆喰の扉。100年経っているのに鏡のように輝いていた。

組織の中で歯車のようになっていると感じていた挟土は、自分も天然の土を使って壁を塗りたいと思った。
一念発起し、業界でも珍しい天然の土壁をつくる会社を興した。
しかし、仕事は来なかった。

(プロフェッショナル仕事の流儀3より)



2008.03.22:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]