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失敗から気づいた学びの本質

竹岡は、1980年に京都大学工学部に入学。将来はエンジニアを夢見る学生だった。
18歳の時、実家の塾でアルバイトで英語を教えないかと誘われ、軽い気持ちで引き受けた。
そして、自分の受験勉強のやり方をそのまま生徒に教えた。

3000もの英単語の丸暗記。さらに1000の構文を覚えこませた。
「こんな熱心な先生は初めてだ」、生徒からの信頼も厚かった。
迎えた入試、竹岡には自信があった。しかし、結果を聞いて耳を疑った。男子全員不合格。

落ち込む竹岡に、一人の生徒が言った。「三年間ありがとうございました。期待にこたえられなくてすみませんでした」
生徒は感謝する、けれども壊したのは自分。これは本当に辛かった。
当時竹岡は、大学院に進もうとしていた。けれども、失敗したまま塾をやめるわけにはいかない。

エンジニアになる夢を捨て、文学部に編入。アメリカ文学を学びながら、ときには参考書に月10万円以上費やし研究を重ねた。
英語の新しい暗記法を教え、大量の構文を書き換えさせた。しかし、生徒の成績は思うように伸びない。

竹岡は留年を繰り返し、3年目には休学。どん底だった。自暴自棄になり、毎日パチンコ店に入り浸る日々となった。
ある日のこと。常連の一人が竹岡に競馬の話を始めた。血統や調教の方法、馬体重に至るまで、驚くほどの知識だった。
「なんて詳しいんだ。おっちゃん、その力があったら英語でトップとれるでえ、と思って」、竹原はハッと気づいた。

興味を持てば、人は進んで勉強し、自分のものにする。
受験テクニックを詰め込むのではなく、生徒が進んで勉強したいと思うよう、英語の面白さを伝えてみよう。
それから、竹原の授業は変わった。無味乾燥な例文を詰め込むのはやめ、英字新聞からニュースを拾い教材をつくった。
そして、ビートルズの歌を関西弁に訳して歌った。

授業を受ける生徒の表情が変わってきた。次々と質問が出るようになり、次第に成績も上がり始めた。
ようやく見つけた突破口。英語を教え始めて10年が過ぎていた。

(プロフェッショナル仕事の流儀3より)

2008.04.05:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

人はキッカケで伸びる

どんな子でもきっかけさえあれば伸びると思います。でも、きっかけを与えることが難しいんです。
だから、手を替え品を替え、単語から攻めたり、文から攻めたり、歌から攻めたりします。
子どもたちの好奇心をばかにしてはいけない。本当に好きになれば自らやっていくようになるんです。
例えば、センター試験の200点満点で60点しか取れなかった子が、180点台に伸びた子もいました。
それは僕が教えたからじゃなくて、その子が自分で走ったからです。

逆に、ある程度強制を続けて、単語を100個づつ覚えさせれば、教えた側はやった気になりますよね。
でも、これは長期的に見たら覚えたはずの単語の意味が混乱してくるんです。
それで、結果的に嫌いになる子も多く出てくる。
ただ、きっかけを与え続けて、それに乗ってくるのを待つのはすごく辛抱がいるんです。
ついつい、僕らは焦りますから。

(プロフェッショナル仕事の流儀より)


2008.04.04:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

科学的教授法

竹岡さんの授業は、英単語を映像やイメージで覚える方法だ。
これは脳科学でいうクオリア(質感)の問題である。
一つ一つの言葉にはクオリアがある。

例えば「山」という単語はどんなイメージですかといったら、まず浮かぶのは富士山などの「山」ですよね。
でも、「ご飯山盛り」の山や、「試験のヤマが当たる」のヤマは意味が違う。
「やまかけそば」に至っては、「とろろ」ですよね。
でも、ぼくらはそれをいちいち一、二、三と分けて考えていない。たぶん、山は「山」なんですよ。

つまり、単語の持ついろいろな意味を考えるときに、その場面場面で意味が決まる。
一つの単語に意味がいっぱいあるのではなく、すべては場面で決まるのだと気づいた。
ただ、その中に共通のイメージがある。山なら山の大きなイメージが。
それを英語で教えているのです。

(プロフェッショナル仕事の流儀3より)

2008.04.03:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

学力でクラス分けしない理由

高校生って、本当に突然変わるんですよ。だから一番ダメなのはレッテルを貼ること。
生徒は教師からだけでなく、家でも十分レッテルを貼られているんですよね。
「お父さんは高卒、お母さんも高卒。だから、お前も大したところには受からない」とか、
逆に「お父さんもお母さんも東大。だから、お前も東大」とか。

いったんそういうレッテルを貼ってしまうと、結構そのとおりに動いてしまうんですよ。
つまり、先入観。教師の側もついつい、そのレッテルを貼ってしまうのですね。
「できるクラス」と「できないクラス」とか、それをやると。できるクラスの子は、伸びることはありけれど、
下のクラスに落ちると、もう絶対に伸びなくなる。

もう一つは、「できるクラス」の子は、意外とダメになっちゃうんですよ。
できるといってもまだまだ発展途上の高校生ですから、基本事項でも抜けているところがいっぱいあるんです。
だから、いわゆるできない子に合わせて教えると、できる子がひそかに「ああそうだったんだ」。といまさら聞けない復習ができる。
クラスそのものが「小さな社会」なんです。

(プロフェッショナル仕事の流儀3より)
2008.04.02:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

質問に答える授業をするわけ

生徒から質問を受ける授業で、竹岡さんは資料を取りに家に帰ることもあるという。

「これが大事だ」と人から与えられるものと、「これはどういうこと?」と自分から聞くのとでは、全然違うんですよね。

知りたいと思っているのだから、質問したときが学習の最大のチャンスなんです。
ですから、そのチャンスを逃さない。
それに時間をかけると印象に残ると思うんです。

最近は、難しい質問も多いですから資料を取りに家に帰るもあります。
そんな時間があれば、もっとたくさんのことを教えられるのですが、
それは教師の自己満足だと思うんです。

結局、習ったことなんてあまり覚えてないですしね。

(プロフェッショナル仕事の流儀3より)

2008.04.01:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]