長く続けるために必要なのは、やはり何かを発見する楽しさだと思います。
「面白いなあ」とか「楽しいなあ」という感情は、受け身の気持ちからは生まれないと思うので、
自発的であることがすごく大事でしょう。
個人的に大切にしているのは「揺らがないこと」ですね。
すこしづつ変化はしていくが、核となっている部分は揺らがないということ。
核とは、いわば自分自身。そこが周りに影響されないこと。
そして、変化を恐れずに進歩していくということでしょうか。
By羽生善治
(プロフェッショナル仕事の流儀7 File No.20より)
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集中力をいかにして高めるのか
集中力は、日によって違うんです。時間帯によって変わるときもあります。
すごく集中したときというのは、時間の観念がなくなるんです。
そこまで集中できたことは数えるほどしかありませんが。
反対に集中力がいま一つで気乗りしないときは、集中が切れない程度に考えてい
くようにしています。
大切なのは無理をしないこと。無理をすれば後になって反動がきます。
だから、そのままを受け入れるのがいいのかなと思います。
しかし、その一方で、外からのプレッシャーが能力を引き出すことも事実です。
対局の終盤で持ち時間がなくなってきて、切羽詰まった状態になって初めて、
感覚が研ぎ澄まされていくような印象はあります。
By羽生善治
(プロフェッショナル仕事の流儀7 File No.20より)
すごく集中したときというのは、時間の観念がなくなるんです。
そこまで集中できたことは数えるほどしかありませんが。
反対に集中力がいま一つで気乗りしないときは、集中が切れない程度に考えてい
くようにしています。
大切なのは無理をしないこと。無理をすれば後になって反動がきます。
だから、そのままを受け入れるのがいいのかなと思います。
しかし、その一方で、外からのプレッシャーが能力を引き出すことも事実です。
対局の終盤で持ち時間がなくなってきて、切羽詰まった状態になって初めて、
感覚が研ぎ澄まされていくような印象はあります。
By羽生善治
(プロフェッショナル仕事の流儀7 File No.20より)
大局観とは何か
棋士・羽生善治が、対局中に考えていることは、「読み」と「大局観」だという。
読みというのは、例えば歩が一つ動いて、飛車が二つ動いてという具体的な手を
読んでいくこと。
一方、大局観は全体的な方向性を考え、見出すこと。
大局観というのは、多くの手を読み切るよりも、いかに手を捨てられるか。
将棋では一つの局面で80通りくらいの可能性があるが、プロ棋士が考えるのは
せいぜい二手か三手。
カメラのフォーカスを絞るように、70いくつもの手を最初に捨て去ってしまう。
それがある種の大局観で、年齢と経験を積み重ねることによって、その精度は上
がっていくという。
「僕の場合は、手を読むというよりも、局面を一枚の絵としてみる感じですね。
一枚の絵として成り立つか、流れに沿っているか、それまでの方針に合っているか、
自分が思い描いているゴールに向かっているか・・・・。」
そういったものにフィットしているかどうかを、感覚的に判断している。
その判断は、七割くらいはできているという。
残りの三割を、読みでカバーしてより正確な手を考えていくのである。
(プロフェッショナル仕事の流儀7 File No.20より)
読みというのは、例えば歩が一つ動いて、飛車が二つ動いてという具体的な手を
読んでいくこと。
一方、大局観は全体的な方向性を考え、見出すこと。
大局観というのは、多くの手を読み切るよりも、いかに手を捨てられるか。
将棋では一つの局面で80通りくらいの可能性があるが、プロ棋士が考えるのは
せいぜい二手か三手。
カメラのフォーカスを絞るように、70いくつもの手を最初に捨て去ってしまう。
それがある種の大局観で、年齢と経験を積み重ねることによって、その精度は上
がっていくという。
「僕の場合は、手を読むというよりも、局面を一枚の絵としてみる感じですね。
一枚の絵として成り立つか、流れに沿っているか、それまでの方針に合っているか、
自分が思い描いているゴールに向かっているか・・・・。」
そういったものにフィットしているかどうかを、感覚的に判断している。
その判断は、七割くらいはできているという。
残りの三割を、読みでカバーしてより正確な手を考えていくのである。
(プロフェッショナル仕事の流儀7 File No.20より)