もともと体を動かすことが好きなんです。
だから、体を動かす仕事ができて、しかもそれが人のためになる。
そこに惚れたんです。
まず体育の教員を目指して体育大学に進んだ時、ライフセービングに出会ったんです。
これだ!と魅了されてのめり込んだのですが、
活動が夏に限定されることで職業としては定着しないのです。
そのように将来のビジョンを考えている時、
同じように海で救助する仕事として浮かんだのが海上保安庁でした。
そんなある日、海上保安庁のヘリコプターが颯爽と登場して、
けが人を助ける場面を目の当たりにしたんです。
それが、ビデオで繰り返し見た映画「トップガン」のワンシーンと重なって
強烈に焼きついて、「こんな仕事がしたい」と思うようになったわけです。
だから、その夢がかなったときは本当にに嬉しかった。
By寺門嘉之
(プロフェッショナル仕事の流儀11 File No.31より)
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気持ちだけでは、人は救えない
荒れ狂う海で人命の救助に当たるには、強靭な肉体と並はずれた精神力が必要だ。
そのために寺門たちは、日々過酷な訓練を繰り返す。
例えば10kgの重りをつけての立ち泳ぎや、水深35mの潜水訓練。
水深30m以上になるとボンベ内の窒素が血液に溶け出し正常な意識を保てなくなる。
いわゆる「窒素酔い」だ。
その中で、マスクをはずして作業を行う訓練を始める。
過酷な訓練は、自らの限界を徹底的に体に刻みこむことが目的だ。
自分の限界が不明確だとそれを飛び越してしまい、命を落としかねない。
あるいは、命を救えなかった時、「自分は限界まで力を尽くしたのか」と
自責の念にさいなまれ、心を病むこともある。
ギリギリのところまで自分たちを追い込むことで強い精神力を養うのだ。
(プロフェッショナル仕事の流儀11 File No.31より)
そのために寺門たちは、日々過酷な訓練を繰り返す。
例えば10kgの重りをつけての立ち泳ぎや、水深35mの潜水訓練。
水深30m以上になるとボンベ内の窒素が血液に溶け出し正常な意識を保てなくなる。
いわゆる「窒素酔い」だ。
その中で、マスクをはずして作業を行う訓練を始める。
過酷な訓練は、自らの限界を徹底的に体に刻みこむことが目的だ。
自分の限界が不明確だとそれを飛び越してしまい、命を落としかねない。
あるいは、命を救えなかった時、「自分は限界まで力を尽くしたのか」と
自責の念にさいなまれ、心を病むこともある。
ギリギリのところまで自分たちを追い込むことで強い精神力を養うのだ。
(プロフェッショナル仕事の流儀11 File No.31より)