HOME > 仕事の流儀

北山安夫のターニングポイント ~つづき~

2年をかけて丁寧に落ち葉を取り除くと、遠州の石組が姿を現した。
その調和のとれた美しさに圧倒された。

遠州の技術を自分のものにしたいと強烈に思った。
遠州に関する古文書を探し出し、必死に読んだ。

そして、修復にとりかかった。
ようやく納得のいく庭ができたときには、10年の歳月が流れていた。

いにしえの姿を取り戻した遠州の庭。
それはただ淡々と自然に溶け込んでいる簡素な庭だった。

声高に主張していないのに、遠州らしさが匂い立つ。
北山は、そこに庭師の極意を見た。

~己を抑えてこそ、心は伝わる~

(プロフェッショナル仕事の流儀14 File No.40より)
2009.01.27:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

北山安夫のターニングポイント ~10年に及ぶ庭との対話~

自分を出さず、主張しないことで人の心を動かす。
北山の哲学は、ある庭との10年に及ぶ対話の末に生まれた。

父親が植木職人だった北山は、大学卒業後、迷わず庭師の世界に飛び込んだ。
石組の名人と言われた小宮山博康に師事し、庭づくりのいろはを学んだ。

通常10年かかる修行も、わずか4年で独立の許しを得て、自信満々で会社を立ち上げた。
しかし、世間は甘くなかった。腕があるだけでは若い庭師に仕事は来ない。
寺の庭掃除で日銭を稼ぐのがやっと。親の援助で食いつないだ。

3年後、人生を大きく揺さぶる仕事が入った。
京都・東山にある圓徳院。名園として名高い北庭を修復する仕事だった。

庭は名匠・小堀遠州の手による枯山水。
長らく手入れがされていなかったため、樹木は伸び、石組も落ち葉に埋もれていた。

自慢の技術を存分にふるえると、勇んで現場に入った。
伸び放題になっている樹木は、必要ないと見るや、根元から切り落としていった。

だがある日、住職に呼び出され、怒鳴りつけられた。
「なぜその木が植えられているか、お前は深く考えたのか」

その言葉にはっとなった。
庭師がその木を植えた意図まで、思いが及んでいなかった。
この庭ととことん向き合おうと決めた。

つづく

(プロフェッショナル仕事の流儀14 File No.40より)
2009.01.26:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

確立したスタイルをなぜ変えるのか

確かに日本の庭づくりには決まったスタイルがありますが、
私はそれを変えたいと思っています。
自分で一つの文化を創生したいということなんです。

日本庭園には千何百年という歴史があるわけですが、
自分なりの石組を発表し、文化の方向性を示してみたい。

By北山安夫

(プロフェッショナル仕事の流儀14 File No..40より)
2009.01.25:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

庭の完成形は何年後に現れるのか

私は「庭は30年」と言っています。
人間と同じで、最初のうちは手塩にかけて、細かいところまで面倒を見てあげる。
そして、成長して、30歳になるころには独立しますよね。

同じように庭も、その頃になってようやく“人格”が出来上がるような気がします。
10年や20年なんて本当に短くて、100年や200年を経てだんだん味が出てくる世界です。
庭には寿命はないんです。
そのためには、自然の恵みというものが存在するべきだと思います。

By北山安夫

(プロフェッショナル仕事の流儀14 File No.40より)
2009.01.24:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

決断に躊躇はないのか

樹齢100年にもなる木を切り落とすこともある。
決断に躊躇はないのだろうか。

躊躇はしません。これは自分が常日頃から磨いてきたハートの問題なんです。
自分が何を感じて仕事をしているか、その積み重ねが、迷いを振り払うんです。

あるところまでは考えるけれども、決めたらもう絶対に迷いません。

By北山安夫

(プロフェッショナル仕事の流儀14 File No.40より)
2009.01.23:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]