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「ドップリつかったものが、本当に離れられる」

 本当に離れるためには、一度どっぷりつかることが必要である。
このことは、人間関係に限らない。
趣味などにしても、一度どっぷりつかると、適当な距離を取れるようになる。
中途半端なことをすると「心残り」がするのである。

もっとも、どっぷりつかるのと「溺れる」のとは異なる。
溺れる人はやたらとあちこちしがみつくが、そこを離れることは出来ない。
幼少時に母親とうまく「ごっぷり」体験をもった人は幸せである。
それがなくても、その他の人間関係や、その他の世界との関係で「どっぷり」体験をすることも出来る。
それは、その人の個性と大いにかかわるものとして、創造性の源泉になることもある。

(こころの処方箋より)
2006.10.02:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「生まれ変わるためには死なねばならない」

生まれ変わった気持ちで頑張ります。
あるいは、死んだつもりになって。などということもある。
本当に死んでしまったら生まれ変わるのかどうか分からないが自分の内的体験としては、死んで生まれ変わったと表現したくなるような劇的な変化が生じるのも事実である。
しかし、象徴的な死と再生の背後には、実際の死が存在しているのである。
肉体的死を回避しつつ、象徴的死を成就することが必要で、ただただ、死を避けていたのでは何事もならないのである。

(こころの処方箋より)
2006.10.02:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「耐えるだけが精神力ではない」

スポーツの解説を聞いていると「精神力」という言葉がよく出てくる。
スポーツに耐えることを期待しているのは、日本人は人生全般についても耐えることが好きなためではなかろうか?
勝利を得るためには、耐えや苦しみがなければならないと思っている。

人間の精神の力はもっともっと豊かなものであり、例えば「イマジネーション」こそ人間の「精神」の働きそのものではないだろうか。
「耐える」ことだけを精神力と思う日本のスポーツマンの訓練法や人生訓が、イマジネーションという豊かな精神の働きを破壊していないか反省してみる必要がある。

(こころの処方箋より)
2006.10.02:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「心の新鉱脈を掘り当てよう」

人間の心のエネルギーは、多くの鉱脈のなかに埋もれていて、新しい鉱脈を掘り当てると、これまでと違ったエネルギーが供給されるようである。
片方で、エネルギーを費やすほうが、他方のエネルギーを増加させることもある。
心のエネルギーは節約しようとするよりも、上手に使っていくほうが、効率もよいし、新しい鉱脈の発見につながることもある。

(こころの処方箋より)

2006.10.02:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「心配も苦しみも楽しみの内」

心配や苦しみも楽しみの内などといっても、その渦中にあるときは、心配に打ちのめされたり、苦しみから逃れようと、のた打ち廻ったりで、楽しみどころではないかもしれない。
しかし、そのような状況から抜け出した後で、思い直してみると「やっぱり楽しみの内だったかな」と思えたりしてくる。
このような経験を重ねていくと心配や苦しみに対して他の人よりは落ち着いて受け入れられるようになるだろう。

(こころの処方箋より)
2006.10.02:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]