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「回帰現象」

人間には人それぞれの基本的な行動のパターンがあるようだ。
たとえば、何か新しい場面に出合うと、はしゃいでしまって、つい、しなくてもよいようなことまでやっていしまうとか、逆にどうしても引っ込み思案になってしまうとか。

しかし、このようなことに気がつくと、案外それは変えられるもので、他人にもあまり気づかれないくらいにはなる。
だが、自分もだいぶ変わったかな、などと思っていても、いざという場面、緊張や思いがけないことが生じたときになると、知らぬ間に以前の型にかえってしまうということはよくある。

それは無意識に起こり、自分でも気がつかないときさえあるが、傍らで見ている人には明瞭に見えるものだ。
このような人間の行動の「回帰現象」とでもいえるようなことがあるのを知っておくと、便利であると思われる。

何しろ、この現象は、大切なときに生じる上に、それが生じていることを本人が気がつかない場合があるので、なかなか厄介なのである。このようなために、取り返しがつかない失敗が起こることもある。

野球の投手が盗塁されるのを防ぐために牽制球を投げるように、自分の心の中で、「回帰現象に注意」という牽制球を投げていると、これもだいぶ防げるようである。

あるいは、回帰現象を起こしても、自分で気づいて、それについて相手に説明して了解してもらったり、自分の姿勢を立て直したりすることによって、決定的な失敗を免れることができると思う。
スポーツと同様、人間関係も訓練によって少しずつ上達するようである。

(「おはなしおはなし」より)

2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「一流病」

建築家の安藤忠雄さんは、大学にも行かずに独学で建築学を学んで今日に至った人である。
ともかく「一流大学に入学して、一流企業に就職するのが幸福の道」と信じきって、そのために幼稚園のときから努力させられる。その結果が相当な不幸につながっていく、という例が多い。

「一流」がいけないというのではない。安藤さんのように自分の進むべき道を見出して、そこで一流に向かって努力し続けるのと、皆が考える一流というのに乗っかっていこうとするのとは、全く異なっている。後者は「一流病」とでもいうべきで、日本人の大半は、これにやられているために、随分と日本中を暗くしている感じがする。

一般の風潮や時代の流れによって判断して進路を決定しても、長い人生の間に、どう変わるかわからない。自分のやりたいことをやって身につけておくと、時代が変わっても自分のものとして揺らぎがないのである。

一流の無意味さをわかってもらえるように、なんとなく一流大学を出て、一流企業に勤めた人が20年後には、実際にどのような人生を送っているのか、というようなルポタージュを発表したりすると、面白いかもしれない。

(「おはなしおはなし」より)

2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「太平洋」

「おはなし」のひとつとして「歴史」がある。歴史書は外的に起こらなかったことを書くことはできない。
しかし、多くの事実の中のどれをいかに書くかということで、それは「おはなし」性をもってくる。

「おはなし」としての歴史という意味で感心させられる本は、フランク・ギブニー著「太平洋の世紀」である。
本書の魅力は「おはなし」を形成する中核として「太平洋」が取り上げられている点にある。
「太平洋」というイメージが人類の中で、この一世紀の間に変化してきたことが上手く語られている。

太平洋はかって、日付変更線によって「世界の切れ目」であった。それは「世界の果て」でもあった。
しかし、現在は太平洋上の貿易量と旅行者数は極端に増加している。つまり、太平洋は「つなぐもの」としての役割を担っているのである。考えてみると。我々が近い関係と思っている親子、兄弟、夫婦、師弟、友人などの間にも思いがけない広さを持った太平洋が存在しているとも思われる。それはいつも「太平」とは限らない。

「つなぐもの」として作用させるためには、それ相応の努力が必要であろう。

(「おはなしおはなし」より)

2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「アイデンティティ」

私のアイデンティティという場合、「私は私であって他の何ものでもない」ことが、自分自身によく納得できるということであろう。

しかし、「私とは何か」と考え出すとよくわからなくなるものだ。
この問題を身体のこととして考えてみると、臓器移植のときに強い拒絶反応が生じることはよく知られている。

これは人間の身体が「自己」と「非自己」をよく区別しており、自分以外のものを拒絶する働きをもっているからである。このような働きをするのが免疫である。多田富雄著「免疫の意味論」には極めてショッキングな事実が紹介されている。

受精後三日後ほどのニワトリとウズラの卵を使い、胚の神経管の一部を入れ替えて、ニワトリのひよこだが羽だけはウズラという鳥をつくり出す。しかし、生後三週間から三ヶ月もすると、羽がマヒして動かなくなる。ニワトリの免疫系が働いてウズラの羽を拒否したのである。

そこで次にニワトリにウズラの脳を移植すると、生後十数日で、ウズラの脳はニワトリの免疫系に拒否されて死んでしまう。つまり、「身体的に『自己』を規定しているのは免疫系であって脳ではない」のである。

こんなことを知ると「私のアイデンティティ」ということについて考え込まされ、単純な考え方ではダメだと強い反省をうながされる。

(「おはなしおはなし」より)
2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「教育バブル」

自分の子どもに対して「教育投資」をすればするだけ、子どもは幸せになると、多くの人は信じているのではなかろうか。
お金のことだけではない。「知識の投資」も大変だ。小さいときからできるだけ早く、できるだけたくさんの知識を子どもにつぎ込んでおくと、
子どもの幸福もそれに比例してふくらむと考える。これは一種の「バブル現象」である。

このようなバブルが、どの年齢ではじけるかは、人によって異なる。ある意味では早くはじけてくれた方がいいかもしれない。
むしろ、どんどん膨らんで、よい高校、よい大学へと進み、よい企業に就職したとたんにはじけることがある。

詰め込まれた知識は社会人としては役に立たない。
これは教育制度の以前の、日本人全体の教育に対する、いや人生に対する根本姿勢の問題である。

(河合隼雄「縦糸横糸」より)

2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]