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「普通の人間なんて、この世にいない」

 なんだかみんな「普通」というのがあると思いすぎているんですね。
で、自分だけ普通じゃないと思って嘆いているんだけど、その嘆いている人のほうが、統計的には「普通」なんです。

(こころの天気図より)

2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「サファリング」

 西洋的にいうと、自我の確立は、ものすごく大事なことで、そのためには戦わなければならない。物事をあらわにすると白黒をはっきりしなければならないから、戦わざるをえない。戦って敵を倒すという形で自我を確立してきたのが西洋の精神の歴史です。

ところが東洋的な物語には戦いがない。あらわにしない精神でやっていくのに、なにが必要かというとサファリング(自ら耐えて苦しむこと)です。秘密を抱いて苦しむ。この戦って勝ち取るか、苦しんで何かを得ていくのかの差がある。

いま、西洋では、戦うだけではある種の行き詰まりを感じている時代でもあり、東洋的なものに関心が集まっている。
しかし、日本人の場合は、苦しむのが趣味みたいな人がいて、もうちょっと戦えばいいのに、戦う前から苦しんだりしている人がいる。

(こころの天気図より)

2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「問題の糸口は、日々身近に」

 努力して解決しなければ、などと思っていると、問題は遥か彼方にあって、手が届かないような感じだけど、実は問題というのは、ひとりひとりに、ものすごく具体的に、日々与えられている。しかも、一人一人違う問題を。

 たとえば、「これだけ私が、成績の悪い我が子のことを心配しているのに、なんであの子は平気な顔をして遊んでいるのか」、と自分が思ったとする。すると、人はたいてい、我が子にだけ問題があるのだと思う。

 しかし、そうはいかない。成績ばかり気にする自分、顔を見れば勉強勉強と言って、子供をうんざりさせ気力を萎えさせてしまう自分・・・。
あるいはもっと深いところに問題は隠されていて、それを引き起こしているのは、もしかしたら自分かもしれない。

そうやって問題を自分のものとしてみてみると、別の視点から見えてくるかもしれない。
そういうふうに思ってみると、わざわざ禅寺へ行って公案をもらわなくても人生、公案だらけですね。

(こころの天気図より)


2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「にもかかわらず【やる】と決意する」

 他人との間の越え難い線というのは、この世に生きている限り、だれもが感じるものであろう。それを乗り越えて関係をもつというのは、もしかしたらほとんど不可能に近いのかも知れない。

にもかかわらず、「やろう」と決意することが、愛するということではないかと思う。それが難しいことだとハッキリ認識した上で、あきらめず、関係を切らずに「やろう」としていくといつの間にか相手との関係が変わっていたりする。

急激な変化というより、夜が白々と明けるように・・・。ハッとわかったという変わり方をしても、次にまた、わけがわからなくなって、ごちゃごちゃして、また、
少しわかって・・・と、の繰り返し。漆を塗るようにだんだん光ってくる。

(こころの天気図より)

2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「嵐もいつか終わりが ― 【希望】を失わないこと」

 つまずきのなかで暗中模索して頑張るしかないが、そんな時大事なことは希望を失わないこと」。自分のやっていることを無意味だと思わないこと。

自分は何を得ようとしているのか、希望を失わずに、じっとみつめているといつかは光が見えてくる。台風というのは恐ろしいけど、10日も20日もは荒れ狂わない。いつかは晴れるんです。

希望を失うとものが見えなくなり、せっかく良い兆しがすぐそばに来ていても、つかみそこなうから。

(こころの天気図より)
2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]