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「機会均等と絶対平等」

日本人は個人の能力差を認めない「絶対平等主義」をもっている。しかし、現実をみると、人間には能力差があることは厳然たる事実である。私はいくら努力してもプロ野球の選手になれなかっただろう。
山形県鶴岡市にある藩校「致道館」によると、昔は盛んに「飛び級」が行われていたそうである。荻生徂徠の考えに従って「天性の大なる者は大成し、小なるものは小成」すると考え、個々人の天性を見抜いて指導していた。戦前にも、ある程度の「飛び級」はあったが終戦後、日本人が縛られていた「身分差」をなくそうと極端な絶対平等観を持つに至った。欧米人の考える平等は「機会の平等」であるが、個人差つまり能力差の存在を明確に認めている。かといってアメリカ的な弱肉強食では感心しない。日本人は、天の配剤としての「天性」を認めて、それが偉いとか得するとかではなく、その人の「天性」の実現として努力すると考えるのがよいのではないか。それは、個であって全体につながっている。

(「縦糸横糸」より)

2006.10.26:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

よりよい生き方

「人はみな豊かでなければならない」という。どのような豊かさを求め、何のために、日夜、神経をすり減らし、あくせく働いているのだろうか。
中国の古典「易経」は、よりよい生き方、人間の幸せについて、次のようにいっている。
 まず「健康」。人は健康で天寿を全うしなければならない。次に、「経済的豊かさ」。金銭に困らぬこと、つまり、物質的豊かさ。そして最後に「和」。夫婦、親子、兄弟が仲良く暮らすこと、つまり心の豊かさである。と説いている。
 よい大学に入り、大企業に就職することが幸せな人生とは限らない。「よりよい生き方」とは何か、一緒に考えていければと思います。

 
2006.10.20:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「子どもの中にある本来的な自立性」

 大人は、すべてについて、子どもより上だと錯覚しやすい。
子どもというのは、最初は何にも知らなくて、大人の指導によってだんだんと成長し、自立力や判断力を獲得してくるものだと思いがちだが、子どもは本来的に自立性は最初から持っているものだ。
子どもは澄んだ目で物事を見ている。そういうところを、大人は避けているフシがある。
澄んだ目で見られると、こっちの中途半端な生き方が脅かされるわけで、子どもの目に気づかないふりをして、とばしてしまう。
おびやかされるというのは、それによって成長するよい機会でもあるのだが、成長するのはしんどいことなので、自分のことは置いといて子どもの成長ばかり期待する。大人は上位で子どもは下位だと決めてしまうほうが楽だから。

(こころの天気図より)

2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「母性は土のイメージ」

「母」の根本的な姿を自然に例えると「土」のイメージです。
土から麦が生まれ死んでいく、しかし、土に還ったらまた生まれることができる。
だから、土というのは「ただそこにいる」それだけでいいんです。
麦が一人で頑張って、生えたり枯れたりしているだけで、土はあればいい。
この「あればいい」というのが「母」だと思います。

(こころの天気図より)
2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

「出来るようにしか出来ない」

 今は情報があふれていて、聞かなくてもいい情報もたくさん入ってくる。
あれをしろ、これをしてはいけない。そんな情報をいちいち聞いていたら、そのとおりやれない自分がダメな人間のような気がしてくる。
大事なことは、自分が出来るようにしか出来ないということです。

(こころの天気図より)
2006.10.14:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]