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あまりに素敵な警備員

先日、田舎へ帰ったとき母から聞いた話です。
実家周辺で水道工事をずっとやっていたようで、
そこに、あまりに素敵な警備員がいたそうです。

どんな警備員だと思いますか?

工事現場に警備員っていますよね。
旗を振ったり、交通整理をする人です。

今回、実家の近所を担当した警備員はすごかったらしい。
例えば、通行するところに板を2枚敷いて作業していたそうですが、
板2枚分の段差ができるから段差がでるわけです。
歩いて通る分には問題ないのですが、自転車で通るときは大変です。

だから、その警備員は常に気を配っていて、
遠くから自転車が視野に入ってきたら即座に板を1枚取って、
自転車が通りやすいようにしていたのだそうです。
その動きがまた敏速で、無駄がなく、笑顔も実に気持ちよかったとか。

遠くからでも目が合うと「ご迷惑をおかけしています」という感じで、
深々と頭を下げるのだそうです。
感心した近所のおばさんのひとりが、工事現場の責任者に声をかけました。
「あの若い警備員さん、すごいですね。対応がものすごく気持ちいいから
 工事の騒音が気にならなくなりました」

すると工事の人はこういったそうです。
「ほんとうに彼には助けられています。彼はNO.1の警備員です。
 本来、工事は音がうるさいから、いつもクレームがひどいんです。
 私たちもこれが仕事だからしょうがないんですけど。
 でも、彼が警備を担当してくれたところは、クレームどころか
 近所に感謝されてしまうんです」

(名言セラピーより)

こんな話を聞くとジーンときます。
「随所に主となる」とはこういうことをいうのでしょう。
ひとりが輝けば全体が輝く。
2007.07.01:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

もっと冒険を!

こんなアンケート結果があります。

アメリカで90歳以上のご老人に聞いたものです。

「90年の人生を振り返って唯一後悔していることは何ですか?」

これに対して90%の人が同じ答えだったそうです。

「もっと冒険しておけばよかった」  

(名言セラピーより)

今日のひとこと:やりたいことは何でも挑戦しておけってことですね。
2007.06.30:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

ありえない?

こんなワークがありました。
2人1組になって、
自分の体の凝っている部分を相手にマッサージしてあげるのです。
相手の凝っている部分ではなく、自分が凝っている部分です。
すると、なんと自分の凝りがほぐれるのです。
あなたも試してみてください。
これはいったいどういうことでしょうか?
それは「共鳴」
僕らは共鳴しているのです。

(名言セラピーより)

しあわせになりたかったら、自分探しをするのもいいけど、
目の前の人にしあわせになってもらう方が案外、近道かもしれない。
2007.06.28:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

しあわせってなに?

近くにあるとどうってことないのに、
遠く離れると大きく見えてくるもの
ってなあに?

先日、友人に会ったときのことです。
彼はいま会社勤めをしているのですが、
起業したいと以前から話していました。

先日久しぶりに会ったので、近況を聞いていました。
在宅起業したい理由は、彼の2歳になる息子さんと、
少しでも長く一緒にいたいから、ということでした。
会社に行く時間も惜しいから・・・と。

知りませんでした。
彼の子供が白血病だったなんて。

なんて声をかければいいのかわからず僕は
「あ、そうだったんだ・・・」
「あ、そうだったんだ・・・」
「あ、そうだったんだ・・・」
とバカみたいに繰り返していました。

彼はこう言っていました。
「なぜ、自分なんだ。なぜ、自分の子供なんだ」
そして、彼のひとことが深く心に残りました。
「ふつうだってことが、どんなにしあわせかわかりました」

なにも起きないことがどれほどしあわせであるか、
ということに、わたしたちはなかなか気づきません。
毎日がただ淡々と平凡に過ぎていくことが、
実はしあわせの本質なんです。

近くにあると、どうってことないのに、
遠くに離れると、大きく見えてくるもの。

それが、しあわせ。

(名言セラピーより)

何もないふつうの毎日が、実は一番のしあわせ。


2007.06.27:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

運がよくなる脳の使い方

住職でありながら、「中陰の花」で芥川賞を受賞した作家の玄侑宗久さんは
座禅の修行をしていたときのことをこう語っています。
「座禅中に後ろから板で叩かれますよね。
叩かれるとまず、『なぜいま叩かれたのかな』と思うんです。
体が揺れたのかな、とかですね。
ところが何度も叩かれていると、だんだん理由が思いつかなくなるんです。
すると不思議ですよ。昔のことまで思い出すんです。
高校時代にあの友達に意地悪したから、いま叩かれたんだろうなとか、
小学生のときにウソついたからだなとか。
そこまで記憶を蘇らせて、わたしたちはいま受けている仕打ちを合理化しようとするんです。
それが禅の懺悔法なんです」

実は、ここに脳の使い方のヒントがあります。
ある現象が起きたときに、脳は、合理的な理屈を勝手に見つけ出そうとするのです。
不合理なままでは落ち着かないのが脳なのです。

これを、しあわせに生きるために応用するとどうでしょう。
今日、あなたが会う人に「ありがとう」と言ってみてください。
その人に全然ありがとうと思っていなくてOKです。
面と向かって言わなくてもOKです。
家で、「○○さんありがとう」と、名前も呼んで、30回言ってみてください。
ね? 言う前と言った後で、その人に対する感覚がまるで違うでしょ?
ポイントは、声に出して「ありがとう」と言ってみること。
すると、あなたの脳は落ち着かなくなるはずです。
「なんで、アイツにありがとうなんだ」と。
そして、理由もなく「ありがとう」と言っているうちに、
その人のどこかいいところ、感謝すべきところを、脳は勝手に探してしまうのです。
「あ、そういえばアイツ、昔アイスを一口くれたよな」とか。
「ありがとう」といってしまった以上、その人のちょっとでもいいところを探さないと、
脳は落ちつかなくなってくるのです。
「バカやろう」と言えば、今度は、その人のバカやろうの面を脳は検索をかけ探してきます。
つまり、「ありがとう」と思っていなくても、口にしていると、
意識が自然に人のよい面や、小さい幸せにフォーカスして、感謝の気持ちが出てくるのです。

(名言セラピーより)

理由もなく「ありがとう」って言ってみよう
2007.06.26:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]