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「子供の芽摘んでない?」

サッカーは日本に浸透しつつあるが、まだサッカー先進国とはいえない。
例えばヨーロッパの少年少女サッカーでは、全員が均等に試合に出場できるが、日本では、補欠で出番がない子供たちがどれほど大勢いることか。

誰だってトレーニングよりゲームが好きだ。ゲームがあるからトレーニングをする。そのゲームの機会を子供から奪う異常さに気がつかない。大事なのは、大会運営者、審判、指導者、引率者など、もっと多くの大人たちが子供たちに関心をもち、誰もがゲームを楽しめる環境をつくることだ。

また、指導に関しても、子供中心のトレーニングやゲームになっていない。大人が100%コントロールする。判断力の質の高さは選手の質の高さ、なのに外から大人たちが、「走れ」「シュート」と指示ばかりする。

また、子供たちのトライ&エラーに対し「何してんだヨ!」と罵声を浴びせる。子供たちはやがて自分で判断をしなくなり、チャレンジ精神を奥深くに隠すだろう。大人は「子供たちの素晴らしい部分を奪ってしまっているのではないか」という気持ちを持つべきなのだ。

(11/14日経朝刊・スポートピア・Jリーグ千葉GM祖母井秀隆)より

2006.11.16:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「老いのうぶ声」

御茶ノ水女子大学名誉教授の故波多野完治先生は、八十歳から俳句を始められ、九十二歳ではじめて句集を出された。その書名が「老いのうぶ声」というのである。

あとがきの中で、波多野先生は、中高年になってから新しい事項を学習するには「先生」は絶対必要である。しかし、その先生を選ぶにはよほど慎重にことを運ぶ必要があると、いっておられるが、これは確かにそうである。

日本の先生は、生徒を自分の思う型にはめようとやっきになって、楽しさを奪ってしまう人が案外多いからだ。

(「縦糸横糸」より)

2006.11.16:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「日本人に必要なもの」

日本人は特定の神や宗教を信じていなくとも、その生活の中に宗教が混じりこんで生きている国民である。
ご飯粒ひとつを大切にするような生き方の中に、その宗教性が認められた。
しかし、近年は日常生活の変化と共に長い間、半意識的に保持していた宗教性を失いつつある。

グローバリゼーションぼ波が強く押し寄せてくる中で、日本人が宗教について考えてみることは絶対に必要と思われる。
それについて考えるとき、河合河合隼雄、加賀乙彦、山折哲雄、合庭惇「宗教を知る 人間を知る」(講談社)は参考になる。

(「縦糸横糸」より)

2006.11.13:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「引きこもりの効用」

引きこもりが増えている。しかし、人間にはある程度の引きこもりが必要だ。一人で誰にも邪魔をされず、ぼーっとしたり、それによってストレスを解消したり、新しい考え方や力が生まれてきたりする。

ただ、それをどのような方法でいつするかが問題なのである。お勉強やお稽古に熱心な母親は、子供に必要な引きこもり権を奪っていることに気がつかない。それを奪われた人は成人になってから、高利子つきの借金を返すように、相当な引きこもりにならざるをえない。

引きこもりの障害を予防したい人は、子供のときから上手に、時には非合法すれすれに引きこもりを経験しておくことである。

(縦糸横糸より)
2006.11.09:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「信念が生む愚行」

ある親が自分の子供を一流大学に入れようとして、幼稚園のときから色々と苦労を重ねる。子供がやっと望みの大学に入って大喜びしているとき、子供は人生に疲れ果て孤独に耐えられず自殺してしまう。

この親は、子供の幸福を願ってというが、一番根本にあるのは、親の不安である。自分に自信がない。その不安を解消するために、すべての期待を子供にかけたのだ。かくて、子供は自分の個性を親の願望によって破壊されたのである。

自殺にまで追いやらずとも、自分の不安をごまかすために、何らかの破壊を行なっていないか自己点検する必要がある。不安を他に転嫁するのでなく、自分の中にある不安や悪の存在を、しっかりと見つめる義務があると思う。

(縦糸横糸より)

2006.11.08:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]