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「正解はない」

 いま、情報社会ということで、早くよい情報をキャッチすれば得をすると思っている人が多いが、家族のことは情報をキャッチするのではなくて、自分が方法を生み出さなければならない。何かいい方法があって、それを早く知ろうと思うのだが、いい方法などない。

 例えば、子どもの行動によくわからないところがあると、ゆっくり考えなくてはならない。子どもがダメで、お父さん、お母さんが叱っている、という構図から、「ここにお父さんもお母さんも分からないものがある、それを一緒に調べよう」という図式に変わる。それはおのずと親も生きることや死ぬことを考えることになり、人生を見つめ直すことになる。

 そのうち、「お父さん、なぜそんなにあくせく働くの、どうせ死ぬのに」、と子どもから言われるかもしれない。

(「人生学ことはじめ」より)
2006.11.26:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「親はもっと自信を持っていい」

 親の命令が画一的で一から十まできちんと統制がとれている家庭の子どもは危険だ。
それに対して、多少の悪さやいたずらをしても大目に見てもらえる家庭の子どもは、あまり心配しなくても良い。

たとえば、常識はあくまで常識で、「絶対的真理」ではないし、「神の命令」でもない。常識を身につけて生きているということは、常識に縛られているのとは違う。

常識に縛られたら、その常識が変化すると大いに困るだろうし、創造性はなくなってしまう。
しかし、常識をあくまで常識として身につけている人は、それを一つの守りとして、自分も他人も不必要に傷つけることなく生きながら、新しい変化に対応していけるだろう。

親が自分の常識を伝えることに不安を感じたり、自信をなくしたりせずに、子どもに接する時間が大切である。

(「人生学ことはじめ」より)
2006.11.25:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「家族」

科学やテクノロジーの発達によって、現代人は何でも自分の思いのままになると思い込んでいる。

しかし、一番自分の思いのままにならないのが家族ではなかろうか。子どもを自分の思うようにするのは至難の技である。自分の意志や能力を超えるものが存在することを実感できるという点で、家族関係は、現代人に宗教性を感じさせる糸口になるのではないだろうか。

 実際に、子どもは多層的、多義的な存在であって、意地悪、残酷、悪の心を含んでいる。その悪いことを行動に表し、それが失敗に終わるという経験を通して子どもは人間に成長していく。

その成長の機会を、いわゆる良い子にしようとする親は摘み取ってしまうのである。けんかやウソはいけないとガミガミいう方が楽である。むしろ言わずに抑えることの方が苦労を伴う。

つまり、子どもが悪を経験し失敗し、そして人間として成長していく過程を見つめるということは、親にとってみれば何かを言いたい気持ちと戦い、それに耐え、大きなエネルギーを消費しているのである。

(「人生学ことはじめ」より)

2006.11.24:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「文化の多様性」

文化とか芸術は、創造する力を大切にしている。
創造には何らかの意味で古い枠組みを超えることが必要になってくる。
それは、国や自治体や企業などが持っている「規制」とぶつかることを意味する。

今までは、各自がその規制の中で、お金に頼る派手さによって祭りをやってきたというのが実情ではないか。
しかし、注意深さと工夫があれば「規制」を変えたり、時には排除しても、本来的には秩序は崩れない。

東京一極集中ではない地方ならではの「文化元気圏」の誕生により、地域が活性化することが必要だ。

(「縦糸横糸」より)
2006.11.22:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「物語の復権」

『〔図解〕世界の歴史』(創元社)の著者J.Mロバーツは、「こまごまとした事実の羅列は百科事典や歴史事典に任せることにして、そうした文明を軸に『歴史を物語る』ことに主眼を置いた」という。

「からみあった無数の事実の中から物語を紡ぎだす」のが歴史家の仕事だと確信しているという。
 そういえば、紫式部が何時生まれて何時死んだか、結婚していたのか、それらのすべての事実を知るよりも、「源氏物語」を読む方が、よほど自分の生きていくことを考える上で役に立つのではなかろうか。

 最近、医療の領域においても「物語を基礎にする医療」という考えが出てきたそうだ。「あなたは癌です。手遅れで治療方法はありません」というのは事実である。しかし、その人の人生、その人の家族、そこにはいろいろな「物語」があるはずだ。それを考慮しつつ医療を行おうというのだ。まったく素晴らしいことである。

(「縦糸横糸」より)
2006.11.21:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]