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「諍いの中から学ぶ距離感」

 私たち人間が生存を脅かされた場合、これと戦うということは極めて自然の行動で、非難されるべきことではない。
子供同士のけんかや殴り合いも、同じように自己主張のための活動力だ。

 また、人の所有物をとりたいという衝動は、人間誰にでもある。しかし、とっても罪の軽いもの、重いもの、さらに絶対にとってはならないものがあるということを見分けていかねばならない。
そのためには、子供のうちから小さな悪の体験を積み重ねていかねばならない。

 けんかや殴り合いにしても同じだ。子供の頃から小さなけんかや殴り合いをしていれば、暴力の加減が分かってくる。

(「人生学ことはじめ」より)
2006.12.06:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「家族の対話」

家族の対話と一口に言ってもとても難しい。
真の対話は、相手の欠点に触れたり、自分の弱点を露呈することにつながることもある。

それに、われわれ日本人は言葉で表現せずに、互いに察しあうという伝統を長く持ってきた。
急に対話と言われても、そう簡単にはできるものではない。

しかし、現代は家族内でも対話を必要とする時代になってきた。よほどの覚悟でなければ対話はできない。

(「人生学ことはじめ」より)
2006.12.02:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「家族とは何かを問い直す時期が来ている」

 生も死も家庭からなくなろうとしている。
そういう方向でずっと進んでいくのか。
例えば、老人は一人で生きて、老人ホームに行くものなのか。
それとも、もう一度みんなが生きていく原点として家庭の意味を考え直すようになるのか。

 いまは、実験のような感じで、みんな家庭の外に出て行っているが、こうバラバラになっていても結局は楽しくない。
楽しみは苦しみと一緒にあるもので、家族で苦しんだり楽しんだりする方がよいのではないかと反省が起こるのではないか。

(「人生学ことはじめ」より)

2006.12.01:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「母性のジレンマ」

 お母さんだけには何でもいいなさい、と説教する母親がいるけれど、子供が自分の秘密を大切にするということ、信頼や誇りを守ることについて無知すぎる気がする。

 痛み、苦しみといったマイナスの体験は子供になるべく味あわせない方がいい、と母親は考える。子供の涙を見るのは親として辛いからだ。
しかし、人生には耐えねばならないことがあって、怒りや悲しみが自分にとってどんな力になりうるのかを、子供のうちに知っておく必要があると思う。

 日本の女性は、いますごくジレンマにある。母性にも非常にひかれるし、自分の人生を考えると、母性を否定したくなる。そういうジレンマは非常に大きいと考えられる。

(「人生学ことはじめ」より)
2006.11.28:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「父性の崩壊」

以前は家というものが大きい意味での母になっていた。それを支えるために父権があった。
ところが父権の方は壊れたので、母性の方が前面に出てきた。日本の昔のしつけは母性原理ができるようにしつけた。

つまり、自分の好きなことをやれ、というのではなく、やりたいことは辛抱して皆と同じようにしなさい、と。
だから他人に対する配慮をどうするかを優先した。そのしつけは、おやじは非常に厳しかった。

おやじが厳しのは父性的だが、その背後に動いている原理が母性的であった。
ところが今、日本の母性原理そのものがゆらいでいるから、子供たちは一体どちらの原理でとうしたらいいか分からなくなっている。

父親は自分の存在、自分なりの掟を体現して生きているということが一番大切だと思う。
あとは遊んでいようが、子供を放っておこうが、子供は分かる。そういう点はもっと子供を信頼していいと思う。

(人生学ことはじめより)

2006.11.27:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]