私たち人間が生存を脅かされた場合、これと戦うということは極めて自然の行動で、非難されるべきことではない。
子供同士のけんかや殴り合いも、同じように自己主張のための活動力だ。
また、人の所有物をとりたいという衝動は、人間誰にでもある。しかし、とっても罪の軽いもの、重いもの、さらに絶対にとってはならないものがあるということを見分けていかねばならない。
そのためには、子供のうちから小さな悪の体験を積み重ねていかねばならない。
けんかや殴り合いにしても同じだ。子供の頃から小さなけんかや殴り合いをしていれば、暴力の加減が分かってくる。
(「人生学ことはじめ」より)
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「母性のジレンマ」
お母さんだけには何でもいいなさい、と説教する母親がいるけれど、子供が自分の秘密を大切にするということ、信頼や誇りを守ることについて無知すぎる気がする。
痛み、苦しみといったマイナスの体験は子供になるべく味あわせない方がいい、と母親は考える。子供の涙を見るのは親として辛いからだ。
しかし、人生には耐えねばならないことがあって、怒りや悲しみが自分にとってどんな力になりうるのかを、子供のうちに知っておく必要があると思う。
日本の女性は、いますごくジレンマにある。母性にも非常にひかれるし、自分の人生を考えると、母性を否定したくなる。そういうジレンマは非常に大きいと考えられる。
(「人生学ことはじめ」より)
痛み、苦しみといったマイナスの体験は子供になるべく味あわせない方がいい、と母親は考える。子供の涙を見るのは親として辛いからだ。
しかし、人生には耐えねばならないことがあって、怒りや悲しみが自分にとってどんな力になりうるのかを、子供のうちに知っておく必要があると思う。
日本の女性は、いますごくジレンマにある。母性にも非常にひかれるし、自分の人生を考えると、母性を否定したくなる。そういうジレンマは非常に大きいと考えられる。
(「人生学ことはじめ」より)
「父性の崩壊」
以前は家というものが大きい意味での母になっていた。それを支えるために父権があった。
ところが父権の方は壊れたので、母性の方が前面に出てきた。日本の昔のしつけは母性原理ができるようにしつけた。
つまり、自分の好きなことをやれ、というのではなく、やりたいことは辛抱して皆と同じようにしなさい、と。
だから他人に対する配慮をどうするかを優先した。そのしつけは、おやじは非常に厳しかった。
おやじが厳しのは父性的だが、その背後に動いている原理が母性的であった。
ところが今、日本の母性原理そのものがゆらいでいるから、子供たちは一体どちらの原理でとうしたらいいか分からなくなっている。
父親は自分の存在、自分なりの掟を体現して生きているということが一番大切だと思う。
あとは遊んでいようが、子供を放っておこうが、子供は分かる。そういう点はもっと子供を信頼していいと思う。
(人生学ことはじめより)
ところが父権の方は壊れたので、母性の方が前面に出てきた。日本の昔のしつけは母性原理ができるようにしつけた。
つまり、自分の好きなことをやれ、というのではなく、やりたいことは辛抱して皆と同じようにしなさい、と。
だから他人に対する配慮をどうするかを優先した。そのしつけは、おやじは非常に厳しかった。
おやじが厳しのは父性的だが、その背後に動いている原理が母性的であった。
ところが今、日本の母性原理そのものがゆらいでいるから、子供たちは一体どちらの原理でとうしたらいいか分からなくなっている。
父親は自分の存在、自分なりの掟を体現して生きているということが一番大切だと思う。
あとは遊んでいようが、子供を放っておこうが、子供は分かる。そういう点はもっと子供を信頼していいと思う。
(人生学ことはじめより)