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苦労をするからすばらしい

家族を持ったら、持ったなりの苦労をしなければならなくなる。
しかし、「家族のための苦労」というものに価値があると思います。

当然ながらそういうものを好まない人もいます。
子どもの不登校とか非行などで苦しんでいる家族が身近にいたりすると、
わざわざそんな苦労を背負いこむ必要はないと考えて、家族を持つことにしり込みする人も出てくるわけです。

昔だったら、自分の老後や死後のことなど、家族抜きには考えられませんでしたが、
いまはそういうこともお金で解決がつくし、家族がいなくてもお金があれば生きていけるという人が増えてきました。
そっちの方が楽だからです。

でも、本当にそれで幸せなのか、それでいいのかを、もっとみんなで論じる必要があるのではないでしょうか。

(父親の力母親の力より)
2009.04.23:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

生の感情でぶつかり合う場

かっては、家族のことより会社に忠誠を尽くすことが第一義になっていました。
ところがいまは、いくら会社に忠誠を尽くしても、どうもそれほどいいことはないらしいとわかってきた。

では、自分の人生で何を大事にしたらいいかと考えたときに、身近なものとして家族が視野に入ったわけです。
だから、いま、家族を大事にしていると言いながら、形式的な面の方が追及されている段階ではないかと思います。


例えば、昔は、入学式に出席する父親などめったにいませんでした。
けれども、家に帰れば、子どもを怒鳴ったり、引っ叩いたりする生身の父親がいました。
そこには、生きていることを実感させられるような感情のぶつけあいがありました。


いまは、むしろそういうのを避けるために、カタチのほうに懸命になるようになって、
親の方がそれを免罪符にしているような面も見られます。
「入学式にも行ったじゃないか」「誕生会だってやってやったじゃないか」と。
むしろ、それがむつかしい問題を引き起こしているような気がしてなりません。


自分が外で上手くいかないから、それが家族に向かうというのは、家族にとってははた迷惑な話です。
単なるカタチではなく、自分の心のエネルギーをどれほど投入しているかという観点から考えられるようになった時、
やっと家族の問題の本質的な部分もわかってくるのではないでしょうか。

(父親の力母親の力より)
2009.04.22:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

生活をともにする大きな意味

家族に関するいま一つの要素は、「生活をともにする」ということです。
「同じ釜の飯を食う」とか「一つ屋根の下に暮らす」といいますが、
例え血縁でつながっていなくても、お互いに強い信頼関係でつながっている。
これは理屈ではありません。

それらの人達との関係が、自分の人生の中で大きな意味を持っていることが多いのも、
「生活をともにした」という体験が大きな影響を与えている証拠と思います。

しかも家族の場合は、とくに子どもは、生まれて間もないうちからずっと生活をともにしているけですから、
精神的な影響ははかりしれないものがあります。
だからこそ、幼い時に体験した家族との関係は、その人の人生観において、とても大きな意味を持ってくるのです。

(父親の力、母親の力より)
2009.04.21:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

何を大切に生きていくか

人生には、自分ではどうにもならない運命的な部分と、自分自身の意志とか努力による部分の両方あるが、前者を代表するのが血のつながりである。

いまのわれわれにとっての、あるいはこれからの家族にとっての問題というのは、そのどちらを大事にしていくのか、あるいは、両方を大事にしながら、どのように折り合いをつけていくかが重要になってくる。

(父親の力、母親の力「講談社+α新書」より)
2009.04.20:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

家族のつながりとはなにか

血のつながりの存在や、同じイエに属しているということが家族の証であるといえないようになってきた。離婚や再婚などによって血のつながらない親子関係も増加している。

血のつながりがなくても、そして同居していなくても信頼関係でつながっている家族もいる。一方、信頼関係が全くないのに、経済的な理由や社会的な必要性にしばられて家族という形を維持している場合も多い。

昔は、血縁関係のある者の集まりとしての家族が、一つの国のような存在だった。
家族の繁栄と自分の繁栄というものが、ほとんど直結していた。
ところが、時代の変遷とともに、従来は家族がやっていたことが、次第に家族から離れていくようになった。

例えば、昔は歳をとって動けなくなったときに、家族が面倒を見てくれなかったら死ぬしかなかった。しかし、今ではそういうことは国がやってくれるようになってきたし、お金によって請け負う業者もでてきた。

人間は、自分の理性、判断、あるいは意志とか努力などによって、相当なことができるようになってきた。それとともに家族の役割も希薄になってきたといえる。

(父親の力、母親の力「講談社+α新書」より)
2009.04.19:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]