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イエを出て家に帰る

昔の「イエ」は個人の自由を奪いすぎるので、われわれ日本人もそろそろ「イエ」を出て、一人の人間として自立していくことを考えねばなりません。

しかし、人間は「自立」はできても「孤立」はできないのです。
やはり家族の間の温かい人間関係に支えられてこそ、本来の自分らしさを生きられるのです。

その意味では、やはり家族が大切であり、それは従来の「イエ」と異なり、家族の対話を大切にする「家」になっているはずです。
そのことを私は、「イエ」を出て「家」に帰る、という表現で示しています。

(父親の力母親の力より)
2009.04.28:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

ときには対決も

自分の主張を述べるのは面倒くさいかもしれません。
日本人は和の精神を先行させすぎるところがあって、自分の考えを口にするのが苦手です。

なるべく平和の方がいいから、踏み込んでいうと喧嘩になるかもしれないと思ったら、そこでやめてしまう傾向があります。

ようするに、表面的なおさまりのほうを大事にしすぎるのです。
これからは、そのあたりも少しづつ変えていく必要があります。

いまのように個を大切と考える限り、対決の必要性が生じてきます。
だから、父親や母親がよほど頑張らなければならないのです。

(父親の力母親の力より)
2009.04.27:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

会話ベタなお父さんへ

母親の方はわりと子どもと対話をしていますが、父親はあまりやろうとしない。
なぜそうなってしまうかというと、日本の社会では、父親は組織の中に組み入れられていることが多いからです。

組織に属する人間にとって、最も大事なことは組織を維持していくことです。
だから、ほかの話をすることは推奨されません。

上司に何か命令されたときに、「それよりこんなおもしろい考え方がありますよ」などと言ったりしたら、評価が悪くなってしまいます。
言われたことを、口答えすることなく、迅速に処理していくのが好ましい世界なのです。

そうしたシステムに組み込まれているため、家に帰ってからもそこから抜け出すことができません。
奥さんや子どもが話しかけても上の空で聞いています。
それどころか、そういうのが世の中に役立つ人間だと勘違いし、子どもに対しても、そういう人間になることを望んですらいます。

子どもの話を聞いて一緒に考えるのではなく、自分の考えで子どもをうまく動かそうとしているような気がします。


(父親の力母親の力より)
2009.04.26:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

どうしも欠かせないこと

家族というものを考えるとき、たとえば、ご先祖さまから子孫につながっていくという考え方は、種の保存という本能に由来していると見ることもできます。

夫婦の場合、離婚してしまえば他人ですが、子どもは、勘当しても他人になりません。
いまはその辺りの規範とか価値観がないまま、中途半端な状態で勝手な方向に動いています。

家族であることの意味、親であることの意味をもう一度意識し直し、議論しなければならない時期だと思います。

(父親の力母親の力より)
2009.04.25:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

苦楽しいの最たるもの

手間のかかることとか、面倒くさいこととか、そういうことを一つ一つやる面白さを理解する必要がある。

面倒を回避して生きていくのは面白くない人生なのだと、そのうちみんなわかりだすのではないか。

本当に楽しいことをつきつめていったら、必ず苦しみがつきまとうものです。
ただなんとなく楽しいというだけでやっていることからは、それほどの満足は得られない。

家族というのは、まさに苦楽しいの最たるものではないでしょうか。

(父親の力母親の力より)
2009.04.24:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]