昔の「イエ」は個人の自由を奪いすぎるので、われわれ日本人もそろそろ「イエ」を出て、一人の人間として自立していくことを考えねばなりません。
しかし、人間は「自立」はできても「孤立」はできないのです。
やはり家族の間の温かい人間関係に支えられてこそ、本来の自分らしさを生きられるのです。
その意味では、やはり家族が大切であり、それは従来の「イエ」と異なり、家族の対話を大切にする「家」になっているはずです。
そのことを私は、「イエ」を出て「家」に帰る、という表現で示しています。
(父親の力母親の力より)
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会話ベタなお父さんへ
母親の方はわりと子どもと対話をしていますが、父親はあまりやろうとしない。
なぜそうなってしまうかというと、日本の社会では、父親は組織の中に組み入れられていることが多いからです。
組織に属する人間にとって、最も大事なことは組織を維持していくことです。
だから、ほかの話をすることは推奨されません。
上司に何か命令されたときに、「それよりこんなおもしろい考え方がありますよ」などと言ったりしたら、評価が悪くなってしまいます。
言われたことを、口答えすることなく、迅速に処理していくのが好ましい世界なのです。
そうしたシステムに組み込まれているため、家に帰ってからもそこから抜け出すことができません。
奥さんや子どもが話しかけても上の空で聞いています。
それどころか、そういうのが世の中に役立つ人間だと勘違いし、子どもに対しても、そういう人間になることを望んですらいます。
子どもの話を聞いて一緒に考えるのではなく、自分の考えで子どもをうまく動かそうとしているような気がします。
(父親の力母親の力より)
なぜそうなってしまうかというと、日本の社会では、父親は組織の中に組み入れられていることが多いからです。
組織に属する人間にとって、最も大事なことは組織を維持していくことです。
だから、ほかの話をすることは推奨されません。
上司に何か命令されたときに、「それよりこんなおもしろい考え方がありますよ」などと言ったりしたら、評価が悪くなってしまいます。
言われたことを、口答えすることなく、迅速に処理していくのが好ましい世界なのです。
そうしたシステムに組み込まれているため、家に帰ってからもそこから抜け出すことができません。
奥さんや子どもが話しかけても上の空で聞いています。
それどころか、そういうのが世の中に役立つ人間だと勘違いし、子どもに対しても、そういう人間になることを望んですらいます。
子どもの話を聞いて一緒に考えるのではなく、自分の考えで子どもをうまく動かそうとしているような気がします。
(父親の力母親の力より)