たましいなどとわけの分からないことを言うと、怒られそうだが、一般に抑うつ症の人は、生真面目に「わけのわかる」解決策をいろいろと考えて、どれもうまくいかずに余計に苦しんでいる人が多いのである。
そんな時に、筋道たてて考えることをやめ、今まで、自分の心を支えてきてくれた基盤が、実はたましいという存在の上にのしかかって重荷になっている。
それでは、たましいの方に、もうひとつ強い支えをつくらなくては・・・、などというイメージの世界に遊んでみることの方が、はるかに解決を生み出すと思われる。
(こころの処方箋より)
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「一人でも二人、二人でも一人で生きるつもり」
一人で楽しく生きている人は、心の中にパートナーを持っている。
「内なる異性」「内なる母や父」「もう一人の私」かもしれない。
ともかく話し相手が居るのである。
人間は自分の考えを他人と話し合うことで、随分と楽しむことができるし、客観化することもできる。
一人で生きていくためには、そのような意味で「二人」で生きていくことができねばならない。
二人で生きている人は、一人でも生きられる強さを前提として、二人で生きていくことが必要である。
無意識的寄りかかりや、抱き込みが強くなりすぎると、お互いの自由を奪ってしまい、たまらなくなってくるのである。
一人でも生きていける人間が二人で生き、お互いに助け合っていくところに楽しみが見出せるのである。
(こころの処方箋より)
「内なる異性」「内なる母や父」「もう一人の私」かもしれない。
ともかく話し相手が居るのである。
人間は自分の考えを他人と話し合うことで、随分と楽しむことができるし、客観化することもできる。
一人で生きていくためには、そのような意味で「二人」で生きていくことができねばならない。
二人で生きている人は、一人でも生きられる強さを前提として、二人で生きていくことが必要である。
無意識的寄りかかりや、抱き込みが強くなりすぎると、お互いの自由を奪ってしまい、たまらなくなってくるのである。
一人でも生きていける人間が二人で生き、お互いに助け合っていくところに楽しみが見出せるのである。
(こころの処方箋より)