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私の仕事は「自己治療業」・・市川團十郎のこと

平成21年1月15日

 今日はすごい吹雪だー。夜中から除雪車がフル稼働。病室にも聞こえてくる。

 昨日から本格的な治療が始まり、私の仕事・・しなければならないことがかなり増加! 1日を追ってみよう。
 朝起きると、目薬。抗がん剤の副作用防止、結膜炎防止のために・・。後でふれるが、昨日の市川團十郎のテレビで言っていたが、涙からも抗がん剤が出てくるので、その防止のためにする。朝起きてからと食後や寝る前など1日4回。

 おしっこの計量。点滴のせいか、昨日は1時間おき、夜中は2時間おきに行かなければならない。点滴の電気コードをはずしていくのが結構面倒くさい。昨日は最大で4つの点滴をしていた。(でも、うち3つは生理食塩水や吐き気止め、利尿剤などで薬は1つ程度なので心配しないで)2台のポンプが、キャスター付点滴ハンガーについている。これは点滴投与の精度を高めるためのものだと思う。

 朝起きたら、うがい薬でうがい。ご存知、イソジンのほか、昨日から新しくうがい薬をもらった。そして、仕上げに抗菌剤を口に含ませ、飲み込む。抗菌剤の後は、飲食は30分はダメ。
 歯磨きは、3食後。2種類の歯間ブラシで清掃。
 だから、食後は時間がかかる。歯磨きをして、歯間ブラシで清掃し、2種類のうがい薬でうがいし、最後は抗菌剤でとどめ。結構、時間がかかる。一つの洗面台なので、暗黙の了解で私が一番最初に使うようになっている。

 病室は4人部屋なので、検査や回診、来客が重なると部屋の中がゴヤゴヤする。このときは、必ずうがいをするように心がけている。

 水分を多くとることも大切。副作用を軽くするなどの効果があるとのこと。やはり、水やお茶が一番とか。点滴や食事で必要な栄養はとっているので。水道水でも悪くはないらしいが、塩素の関係から、蛇口をあけたら、5秒ほど経ってから、コップに汲めとのこと。だから、今はミネラルウォーターのみを飲んでいる。

 散歩をすること・・私は便秘をしない人間だった。しかし、無菌室にいたころ、寝たきりの生活だったので、便秘で苦労した。だから、散歩は大切。身体を動かすことは腸を活性化するらしく、今は便秘はない。今朝も散歩はしてきた。点滴がいっぱいだとなかなか大変なので、合間を見て・・。今までは、午前と午後に階段の上り下りもしてたし、朝は新聞を買うため、5階から1階まで階段を下りていった。おかげで、ももの筋肉も少しはもどった。尻の筋肉は戻らないけど。

 これ以外は、ブログを書くこと、チェックすること、新聞や本を読むこと。YBCのラジオ918を聞きながら、情報を入れ、本を読んだりする。もちろん、ネットで知り合った同じ病気の方とのやりとり、白血病の情報をとったり・・。本は、みなさんからいただいた本や買った本など。今は、東京農大の小泉武夫教授の本、スポーツライターの本、地域活性化の本など・・。小泉先生の本は、読みやすい。好きなのもあるけど、深い知識と身近な情報知識が適度に織り交ざっており、おもしろい。

 病室の方とも仲良くしてもらっている。私よりも一回り弱のおじさんと常にしゃべっている。病気のこと、テレビを見ての感想、世の中のこと、野球のこと・・。私の方が抗がん剤や点滴の先輩なので、副作用などについても話したりしている。気の合う方がいるのは心強い。

 かなり長く書いたが、昨日のTUYで放送された「市川團十郎の白血病闘病日記」の感想を書く。

 まず、彼の心意気、執念、舞台に立ち、演じるという「生きる目的」の明確化、家族愛など、すばらしいものがある。かなり、勇気づけられた。

 しかし・・番組内容が現代の医学と違う点があると思うので、少し弁解したい。
 闘病の始まりは2004年であり、今は医学が進んでいることを言っておきたい。

 まず、発病直後のシーン・・みんながマスクと白衣を着て、殺菌してから、ビニールに囲まれたベットで接する・・あれは今はない。入室するものは、手洗い、マスク、うがい程度で、今は、無菌室というところで人と接したり、治療をするので、あのシーンはありえない。かなり、大げさに見えたが・・。昔は医師も宇宙服などのようなものを着て、治療にあたっていたらしいが、今は臨床テータや空気清浄機の発達で今はないから・・。

 あと、薬やけや腕の血管が黒く死んでいるようなシーンもあったが、あれもないね。今は、鎖骨部分の静脈から点滴を入れるので、点滴のために、腕に針の後や黒ずむほどのものはないと考える。

 もう一つ、結論から言うと、彼は再発により、3回ほどの入院治療をしているが、おそらく、最後にした「ミニ移植」を最初の時点でしていれば、もっと楽に済んだような気がする。あくまでも推測・・
 これは、当時の医療がそこまで進んでいなかったのか、病院がわかっていなかったか・・。最後に治療したのは、東京のT病院(タイガー・ゲート?)。ここは移植の症例が全国でも屈指で、谷口先生は白血病の先生の中では有名な先生だ。
 ただ、移植の前後の苦しみは、放送のような場面は絶対あるはず。これは肝に命じなければならない。

 私は、現代医学の進歩は1年すぎれば、かなり進んでいることを言いたいし、私も体感した。薬、点滴のおかげで、苦しい時間はまったくなかった。3月からは新薬も出る予定である。まさに、医療は日進月歩であると考える。
 痛みや苦しみは個人差もあるのでなんともいえないが、あれが白血病闘病のすべてではないことを言いたいし、自分でもそう信じたい。
 以上、白血病アマチュアコメンテーターの感想でした。

さびしさを与えて

平成21年1月14日
 今日はいい天気だ。朝から太陽の光がまぶしいくらい。こんな日に子供たちと一緒にスキーにでかけたらと楽しいだろうなぁー・・。昨年、10年以上ぶりでスキーをした。七ヶ宿スキー場だ。ここはいい。小学校低学年には向いている。あまり、上手でない自分にとっても、ちょうどいい。いつか、子供たちと一緒にスキーがしたいなー。子供たちが上手にならないうちに・・。

 俺には二人の娘がいる。2年生と年長さん。
 昨日、妻からメールが来た。妹のほうが夕食のとき、グズっていたらしい。結構、あることだけど、妻からは「さびしさ」を感じているのでは・・とのこと。
 妹のほうは、俺の前では口だけは強がりを見せる。さびしさは口に出さないタイプ。でも、一時帰宅したときは、必ず、だっこをせがむ。こたつに入っていると、スルっと入ってくる。
 年長さんの妹には、お姉ちゃんと比べると、不平等を与えてしまった。小学入学までの時間、お姉ちゃんには、健康な自分が毎日のようにいたのに、妹には、闘病の親父の姿、時間を与えてしまった。ごめんね・・
 もちろん、妹だけではない、お姉ちゃんにも妻にも家族全体に言えることだが・・。娘たちのことを考えるとせつない。涙が出てくる。
 早く、毎日、家族全員で食卓を囲む日が来てほしい。いや、そうなる日を自分でつかむぞ! 
 今日もがんばろう!
 

違和感

平成21年1月13日
 本日、鎖骨部分から点滴が入った。本格的な抗がん剤投与は明日から・・。
 久しぶりの点滴生活で、違和感が・・当たり前だ!少し痛みもある。ずっとツネられている感じかな。まぁ、これもだんだん慣れてくるだろう。
 点滴が入るとなかなか散歩する気力が失われがち・・。今までは階段の登り下りもしていたのが、それができないわけだから・・無理しない程度、短い散歩をたくさんしようかと思っている。体力は必ず必要だから。

 このブログが職場の方にバレたようで・・俺だとわかったらしい。別にバレてもしょうがないけど、やや恥ずかしい。でも、情報発信することは、いろいろな情報を得られる。現にアドバイス的なこともあったから。

 入院していると、稀な病気と言いながら、血液疾患で入院している人は結構多い。自分と同じ町内の人もいる。これはびっくりだ。
 今の病室では、結構、患者の入れ替えが激しい。苦労している人がたくさんいることを痛感する。
 定額給付金2兆円はやめて、医療に使ってほしい。これが今日の結論だな!

静かな時間だ。明日から・・

平成21年1月12日
 今日は穏やかな天気。今は、すごく静かな時間だ。病室にいる。
 今回の連休も自宅で過ごすことができた。明日から地固め療法が始まれば、廊下での散歩くらいしか、できなくなるため、先生から「週末はご自由に・・」という言葉をいただいたためだ。
 年末年始の帰宅の際、「当分は来れないなー」と思って、病院へ戻ったが、また帰れるとは・・思ってもいなかった。
 
 もう点滴をはずしてから、40日以上経っている。この間、飲み薬だけの治療。苦しい日はまったくなかった。
 明日からの点滴。少し不安だ。あまりにも楽な生活だったので、反動が来るのでは・・。そんな不安がよぎる。入院したての頃は、何もわからず受身だったが、今度は先が見えてくる分、不安もある。
 妻から「そんなんでビビって、どうすんなやー!」と渇が入りそうだが・・
 とりあえず、明日からがんばろう。気合を入れてだー!

生きること。派遣切り・・

平成21年1月9日
 今日も穏やかな天気。今日のスケジュールは朝の採血と午後の歯医者。歯医者は移植に備えるためのもの。今日も静かな時間を過ごすだろう。

 さて、今日は闘病記というより、少し視点をずらして書いてみる。たまには気休めとしていいだろう。

 テレビや新聞では、派遣切りが話題。置賜地区内でも相当な数となっているらしい。置賜でもすごい数なのに、大手は当たり前だ・・と言いたくなる。
 先日、同級生が見舞いに来て、派遣切りの話題になった。「派遣切り? 派遣切りというより、社員のクビ、そして会社がギリギリのところでやっているので、正直言えば、派遣切りに同情している状態ではない」という。
 これを聞いて、納得させられるものがあった。会社が倒産したら、大変なこと。会社を存続させるために、同級生も新たな会社の方針に基づき、奔走するという。がんばってくれ!とエールを送りたい。

 派遣村について、考えた。「働く気があるのか」発言で謝罪した政務官・・あれは本音だろう。
 私もすべてではないと思うが、派遣社員の中には、いろんな状況の人がいる。ギリギリの生活をし、仕送りしている人もいる。でも、生活設計を立てた場合、派遣社員だけで暮らせると思っていたのだろうか? 派遣法が製造業に解禁になった時点で、この状況は予測できたはず。もっとほかに選択肢はあったと思う。

 私は聞きたい・・派遣村の人たちに・・あなたたちの中で多額の借金をしている人はどのくらいいるのだろう?世の中には、派遣社員だけが苦しいわけではない。多額の借金を背負って、朝の新聞配達から始まり、1日にいくつもの、バイトをつなぎながら、生活をしている人はたくさんいる。現に私の周りにもいる。日中は建設業の下請けをし、夜はコンビニのアルバイト・・。派遣村に集まった人間だけが、悲劇のヒーローではないだろう。

 テレビで、30歳程度の女性のトラックの運転手が札幌で給料が下がったので、東京に出て、職を探して、あげの果てに、所持金が200円だと・・。それまでの給料は30万円だったそうで、それが10万円代になったとか。1人暮らしの独身女性。「30万円ももらっていたら、貯金はないのか?」と聞きたかった。母親とは疎遠になり、父は死去。実家に帰りたくても帰れない。派遣切りの嵐に、東京に出て、仕事を探すなんて、考えなしもいいとこ。東京に出てくる旅費があったら、それで食いつなぐことはできたであろう。これは悲劇のヒロインというより、同情もしたくない気持ちになった。

 派遣村にいる人に言いたい!もし、ふるさと、実家があったら、ふるさとに戻るべき。
 もし、農家だったら、絶対戻るべき。「ふるさとに戻っても、食えない」というかもしれない。でも、農家だったら、食うことはできるはず。
 生活費がかかる都会の暮らしより、ふるさとでの暮らしが絶対いい。「田舎では生活できない」というなら、田舎で生活している人に対して、失礼だ。
 ふるさとで生活できることを考えるべきだ。田舎では、やりくりをして生活をしている人がたくさんいる。
 あなただけが、一番辛い人ではないことを知ってもらいたい。
 職を選ばず、贅沢をせず、田舎での生活をやることは絶対できると思う。

 最後に言いたい。
 命を粗末にしてはいけない。
 生活できないから、死を選んではいけない。
 死を選びたくなくても、死と隣り合わせの生活をしている人、闘病している人がいることを忘れないでほしい。
2009.01.09:主人:コメント(1):[世の中の動き]