令和3年度第1回企画展『結城先生がふるさとに伝えた渋沢栄一翁の想い』スタート
本日より、今年度第1回企画展『結城先生がふるさとに伝えた渋沢栄一翁の想い』を開催いたしました。
2019年4月19日、新紙幣のデザインが発表されたことは記憶に新しいところでしょう。津田梅子、北里柴三郎ら教育や研究に携わる人物ともに、経済界を代表して渋沢栄一翁が一万円札の顔に選ばれたことは、同じ経済界で活躍された結城豊太郎先生の遺徳を顕彰する記念館として大変喜ばしいニュースでした。
日本資本主義の父、経営の神様、銀行の神様など、今も多くの敬称とともに人々の尊敬を集める渋沢翁。その渋沢翁の書が、結城先生によってここ赤湯に伝わっていたことをご存知でしょうか。新一万円札の顔として渋沢翁に注目が集まっているこの機会に、ぜひ多くの方々に知っていただきたいと願い、今展示を企画した次第です。渋沢翁から結城先生がいただいた書には、次のように記されています。
餘有るを待ちて人を濟わんとせば終に人を濟う日無く
(あまりあるをまちてひとをすくわんとせばついにひとをすくうひなく)
暇有るを待ちて書を読まんとせば必ず書を読む時無し
(いとまあるをまちてしょをよまんとせばかならずしょをよむときなし)
記念館ではこの書を親しみを込めて『餘有るを待ちて』と呼んでいます。この書を目にして皆様はどのような感想を持たれたでしょうか。“良薬口に苦し忠言耳逆らう”ではありませんが「おっしゃる通りなんだけど耳が痛い…」とお感じになった方もいらっしゃるかもしれません。いつかやろうと思ってはいてもなかなか実行できずにいることは、多忙な現代人にはままあることです。しかし、この書にはそうした一面以上の深い意味が込められていました。さらに、書『餘有るを待ちて』は、受け取った結城先生を動かし赤湯を変えたほどの力を持った運命の書とも呼ぶべきものだったのです。今展示では書『餘有るを待ちて』の解説に加えて、結城先生が傾倒し、渋沢翁とも縁の深い水戸学についても臨雲文庫に受け継がれた資料の数々から紹介いたします。さらに、渋沢栄一翁に始まり、渋沢翁の娘婿・穂積陳重博士、そして孫の渋沢敬三氏と、実に三代に渡って結城先生と渋沢家とのお付き合いがあったことも併せて紹介いたします。
渋沢翁から結城先生へ、そして結城先生からふるさと赤湯の人々に渡されたバトンの軌跡をご紹介いたしますとともに、未来へ想いを馳せる一助にしていただければ幸いです。
令和3年4月20日 南陽市立結城豊太郎記念館