FPのひとりごと
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因果応報−24
当時 ご学友のファッションはというと・・
髪は 七三分け(いまや絶滅種!?)
シャツは 無地かストライプのカッターシャツ
ズボンは 吊るしのビジネススラックス
(以上2点は ダイエー等で調達)
靴は 茶か黒のビジネスシューズ
ズボンは たまにジーンズでコーディネート
これにジャケットを引っ掛ければ
団塊世代のホリデーウェアになりますが・・
これを なんのてらいもなく悪びれもせず
堂々と“着こなして”キャンパスを闊歩なさる
自分がイメージした“大学生”はどこにもいなかった
当時『ダサイ』という言葉はなかったが
まさに“超ダッサーい”の極致!!!
じゃ おまえはどうだったんだ?
と言われれば ちょっと言葉に詰まるが
“キャンパスの流行”にだけは染まらなかった
そりゃー 田舎から出てきたばかりで
“スエヒロ”のものしか着たことがないんだから
自分だって 十分ダサかったのはわかってますが
あーはなりたくないと 必死に努力しました
当時 男性向けのファッション誌には
『メンズクラブ』や『チェックメイト』がありました
自分としては“メンクラ”のアイビーやヘビーデューティーに
惹かれていましたが 地方都市にはショップがありません
なにより 雑誌に出てるような高価な服を買えるわけがありません
で
長髪だったし 下駄は高校から履いていたんで
『俺たちの旅』の中村雅俊をパクることにしました
近くの美容院でパーマをかけ(ミニバーグでした)
シャツは ミリタリー調のやつを着て
パンツは ベルボトムのジーンズで
足下は はだしに 下駄履き
颯爽と肩で風切って歩いていたんですが・・・
いやー いま思い出しても チョー恥ずかしい
こういうのは お坊ちゃま大学でのカウンターカルチャーでこそ
存在意義があるんであって いきなりこんな格好で出没しちゃって
我がキャンパスでは 浮きまくりだった(のでしょう)
本人 気付いていないところが ものすごく悲しい!
結局 同好の士も現れず
好奇の目にさらされるのも ほとほといやになり
ほどなくして その格好で
夜の街に 繰り出すようになっていました
(つづく)
2008.11.12:
tnw
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因果応報
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因果応報−23
ほんとは 上京して 日芸に行って
キャンパスライフを満喫するはずだった
私の未来予想図・・・・
現実は
真逆の光景が広がっていました
あのシチュエーションで
どうやったらキャンパスライフをエンジョイできるか
答えられる人がいたら 教えて欲しいほどでした
それなのに
周りの連中を見ると
それなりに 楽しそうなんですねー
なんでなんだろー? 不思議でした
地方の駅弁大学ですから
入学者は 地元出身者が多いんですが
そやつらは 妙なプライドもぶら下げてました
まあ “地元のエリート”のつもりなんでしょうねー
別に 文句を言うような事じゃあないんだけど
違和感(嫌悪感)は かなりありました
友達?
学校には ほとんどいませんでした
馴染みたくない というのが本音
当時は 第二外国語の選択で
クラス編成が決まっていましたが
ドイツ語を選択すれば まともなクラスでしたが
わざとフランス語を選択して クラスもなしでした
自分から望んで どんどん孤立してゆきました
学校に行かなくなるのに 半年かかりませんでした
(つづく)
2008.11.11:
tnw
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因果応報
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因果応報−22
大学というところは
学問を究めるところである!
ま そのとおりではあるんですが・・
プラスアルファとして
キャンパスライフっていうやつを
エンジョイするってのもありですよね
華やいで自由な雰囲気のキャンパスで
友と語らい 仲間と遊び ロマンスも・・
なんて 夢が広がったって
文句を言われる筋合いじゃあないですよね
ところが・・
あれを果たしてキャンパスと言っていいのか
私に 確たる自信は ありませんが
とある 地方の駅弁大学のキャンパスは
“なーんにも ありませんでした”
砂漠の中の広大な敷地にある林間学校でした
華やいだ雰囲気とは およそかけ離れたキャンパスには
没個性の小器用なプチ秀才と浜風で傾いた杉林しか
少なくとも 私の目には入りませんでした
学生街もなく コンパをするのに
1時間もかけて バス・電車を乗り継がなければなりません
アパート、下宿の類もひどいもんでした
大家が自宅兼用の木造の宿舎を建設したもの
それしか住居としての選択の余地は ありませんでした
風呂・トイレ・キッチンは共同でした
スイカ畑 キャベツ畑の中に点在していました
そこから 自転車で学校へ行って
学食で A〜C定食を選択して昼食し
夕方 アパートに帰って勉強して寝る
それが当時の標準的なキャンパスライフでした
私に 耐えられるわけがありません
(つづく)
2008.11.02:
tnw
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因果応報
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因果応報−21
どうでもいいことでしょうが・・
私 季節の中では
圧倒的に 春 が好きなんです
別になにがどうってことで
好きってわけじゃあないんですが
ポッカポカの日差しの中にいるだけで
ほのぼの しあわせな気分になれるんです
なんにもなくても ウキウキしてしまいます
でも
18の春は 不思議な春でした
春はやっぱり春なんで ほんわかいい気分に
してはくれるんですが・・
運命に弄ばれて ままならぬ人生
自分で人生を切り開けない無力ともどかしさ
これらが ぐちゃぐちゃに交じり合って
人生で一番ウキウキしない春でした
入学式? 何も覚えていません
そう言えば 校歌?歌えません
キャンパスに行ってみました
町外れの スイカ畑が点在する
ただっぴろい砂漠の中に
ばかでかいキャンパスがありました
驚いたことに
学生街みたいなものは影も形もなく
喫茶店 雀荘 飲食店はおろか
銭湯さえ ありませんでした
ここのキャンパスの土地は
地元の田中角栄と
当時黒い噂の絶えなかった国際興業が
絡んでいたと 聞きました・・・
魅力あるキャンパスライフとは
まったく縁のない“林間学校”みたいな
そんなキャンパスでした
♪春なのに〜春なのに〜
ためいき またひとつ〜♪
(つづく)
2008.10.26:
tnw
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因果応報
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因果応報−��
翌朝の朝刊にも
名前が載っていましたから
間違いではなかったようなんですが・・
なにが起こったんでしょうかねー
日本史で“宝くじ”が当たったんで
総得点の“かさ上げ”があったのは
たぶん事実なんでしょうが
数学の“0点”は 何処に行ってしまったのか
いまだに まったくもって謎です
家族は当然ながら 大喜び
担任 級友からも望外の祝福を受けました
が・・
本人の気持ちは“限りなく透明に近いブルー”
望みもしない 大学 学部 学科・・・
落ちた人には申し訳なかったよねー
こんな奴が 受かっちまって
あのときの 複雑な胸中は
いまでも忘れられません
もっと強い意志と行動力があれば
入学を辞退して 上京し
バイトしながら 予備校へ
なんてことも できたかもしれませんが
“18の僕”は無力で 運命に翻弄されていました
(つづく)
2008.10.25:
tnw
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因果応報
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因果応報−��
なんやかやで
最初の受験も無事終わりました
みんな合格電報なんかの手配で
忙しいキャンパスを後にし
何の感慨もないまま帰宅しました
こっそりと代ゼミや駿台の募集要項などを
取り寄せたり 二期校受験目指して・・
みたいなカムフラージュをしたりしていました
家族は それが“落ち込み”に見えたようで
当人は なんともないのに“腫れ物”扱いでした
そんな中 合格発表があった(んだそうです)
当時は 掲示板を見に行くか 合格電報が
一般的に合否を知る手段でありましたが
発表当日にラジオでの速報があったり
翌日には朝刊で実名の発表もあったりしました
(個人情報もへったくれもない時代ですから・・)
私 その日が合格発表の日であることさえ
まったく 頭にありませんでした
たしかFMで音楽を聴いていたんですが
家族は 合否の速報を聞いていたと勘違いし
しかも 何も言わないので(そりゃ何も言わんわな)
あーやっぱりだめだったか と思ったんだそうです
そんなとき 家電が鳴りました
いっしょに受験した友達からでした
開口一番 『おめでとう!』
当方 『・・・・・・・』
再度 『おめでとう!』
当方 『はあ?』
驚天動地とはこういう事を言うんでしょうなー
とにかく ただビックリです
うれしい とか やったー などという感覚は
まったくありません
ただただ 『なに それ・・』でした
運命の糸が複雑に絡み
望みもしなかった大学への入学が
決まってしまった瞬間でした
(つづく)
2008.10.21:
tnw
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