FPのひとりごと

FPのひとりごと
ログイン

小〜中学校時代
プール授業は ありましたが
実際に“泳ぎ”を教わったことはありません
20分〜5分休憩〜20分という感じで
ただただ自由に プールで遊ばせてもらいました
プールよりは 川の方がなじみが深く
松川(最上川)で 川遊びをしていました
なので モグリは得意ですが“泳ぎ”がだめでした
中学生の夏休み
市民プールに通って 平泳ぎの特訓をしました
もちろんコーチがいるわけもなく 自己流で
息継ぎに苦労し 1シーズンかけて
やっと それなりの形になりました
うれしかったねー・・・

この体験が 『飛ぶ夢』の元になっています
飛ぶ夢の最初は とにかく平泳ぎでの離陸です
一生懸命 平泳ぎでもがいて垂直上昇をしようとしますが
力いっぱい ガシガシ漕がないと 地表に墜落しそうで
死に物狂いで バタバタと手足を動かしていました
そうやってなんとか 電信柱ぐらいの高さまで上昇すると
安定した水平飛行に入ることができました
飛行区域は なぜか近場ばっかりでした
たまに 中国の秘境や 西部の荒野に出かけることもありましたが
だいたいは 実家の周りや通学路や学校近辺でした

飛ぶ夢を見て起きると
ぐったりと 疲れていました
たぶん 覚えたての平泳ぎを
布団の中で たっぷり練習したんでしょう

                    (つづく)

人には
終生忘れえぬ光景
亡骸とともに棺桶にしまっておく
そんな光景・シーンがいくつかあるんだと思う

カタ雪をはるばる渡って辿り着いた
鉄塔と左カーブの小川
なんの変哲もないし 美しいものでもない
なのに なぜか 一生忘れられません
理由は よくわかりません
記憶のエアポケットみたいな感じです

私 よく 空を飛んでいる夢を見ます
一番最初に 飛んだのは 中学生のときでした
飛んで 最初に辿り着いたのが“ここ”でした
着陸したとき 鉄塔の周りには 鳶が2・3羽いました

似たような記憶で
あれはなんだったのか
いまでも よくわからない記憶があります
小学校の高学年だったと思いますが
雨の日の午後 放課後かなー
北のはずれの第四校舎の2階で
北側の窓から 少年は ぼーっと外を見ていました
窓ガラスから見える風景は 雨で揺れていました
そこに ぬーっとして ひょろりと高い鉄塔がありました
ありました・・ 見たんだからしょうがない
どう考えても あの近辺に 鉄塔などあるはずはないのに・・
そぼふる雨の中に悠然と立つ鉄塔を見たんです

見たんです・・・

しょうがないから これも棺桶にいれてこう

                      (つづく)




はるかなる未踏の地を
自分の意志で 好き勝手に
どこまでも いつまでも 歩き回る
これって できそうでできないこと
できるとすれば 砂漠ぐらいかねー
でも 砂漠じゃあ歩きにくくてしゃーない
それに比べると カタ雪は舗装道路

長靴を履いた少年は
日が暮れるまで ずーっと ずーっと
カタ雪の上を 歩き回っていました
そして 意味もなく 雪の上にねっころがって
青い空と太陽を見て ニンマリしていました

いまでも 忘れられない風景があります
家から 散々歩いたところに
高圧電線の鉄塔と小川がありました
鉄塔の左側にある小川は 左に迂回していました
積雪は常に2m以上ありましたから
小川は 雪に埋もれていましたが
少しだけ くぼんでいて その存在がわかりました

その風景
いまでも 夢に見るんです はっきりと・・

                (つづく)

幼少のみぎり
街中からはずれた北東の農村地域に
我が家は 居を構えていました
ここは 大規模な区画整理があって
いまは 閑静な住宅街に変身していますが
当時は ほんとに田んぼばかりの農村でした

我が家の北側にトイレがありました
ここの窓から見える風景は
いま思い出すと 想像を絶するものでした
まず 見えるものは 田んぼばかり
建造物は なにも視界に入ってきません
10数キロ先に一つだけ ぽつんと
建物がありましたが 屠殺場でした・・
延々とつづく田んぼの先には
色が青く見える 葉山連邦が鎮座するだけでした
いまの景観からは想像もつかないような
荒涼として殺風景だけど ワイルド&ワンダーランドでした

ここには 普段は 曲がりくねった農道が
1本あるだけで その農道も途中で途切れていました
その先には 行ってみたくてもどうにもなりませんでした
それが
カタ雪になると
どんなルートでも どこまででも 自由に
行けてしまうわけです
もう むちゃくちゃうれしくて
いつまでも どこまでも 好き勝手に
歩き回っていました

                 (つづく)


“カタ雪”って 知ってる?
“堅”雪 なのか “固”雪なのか
わからんし 方言か否かも??ですが・・

知らない人のために

降り積もった雪の表面一帯が
気温の上昇で 一度解けかかり
かなり 水っぽくなっている状態で
急に冷え込むと 雪の表面が氷結し
アスファルトの如く固い地盤になること
を 言います(言ってました か)

表面の固さによっては
大柄な大人でも 雪上をサクサクと歩けました
雪国は 冬になると 歩行範囲が極端に狭まり
不都合で不便な生活を強いられるわけですが
カタ雪 この時ばかりは 状況が一変しました
だって 普段は通行不可能な最短距離のバイパスが
そこら中に 無数に あるわけですから

子供の頃 カタ雪が 大好きでした
だいたい 放射冷却が原因で冷え込むので
その日は 天気が むちゃくちゃ いいわけです
いまとちがって 2週間に1日ぐらいしか
晴天の日なんてなかったので(誤解かなー)
晴天でウキウキし カタ雪でワクワクしてました

通学は 田んぼも畑も他人んちの庭もなにもかもを踏み越えて
自宅と学校を結ぶ直線を 堂々と闊歩しました
いまとちがって 通学ルートなんてなかったから
自由自在に 誰にも文句を言われずに“彷徨”できました
これが なんと気分のいいことか
重苦しい冬の気分を バーンと一気に晴らしてくれました

私にとっては What a wonderful world♪♪ でした

                      (つづく)





倉本聰という脚本家は
TV史上に燦然と輝く名脚本家
『北の国から』が有名ですが
フジでやってる『風のガーデン』も彼の本です

私が最初に薫陶を受けたのは
『2丁目3番地』でした
まだ小学校の高学年くらいだったかなー
石坂浩二と浅丘ルリ子のラブコメディーでしたが
小学生さえ夢中にさせる“なにか”がありました
“それを”正確に表現できそうにありませんが・・
あえて言えば“切なさ”とか“ペーソス”かなー
(小学生なのにませててすみません・・)
ビリーバンバンの挿入歌とともに忘れられません

で 次にはまったのは『前略おふくろ様』
私が“失意の”大学生の頃でした
当時の視聴率がどんなもんだったのか
いまでは 知る由もありませんが
友人 アパートの連中 ほとんどが見てました
東京下町の老舗の料亭を舞台にした人情劇ですが
人情劇だけに終わらせない脚本とキャスティングでした

ショーケン演じる『さぶちゃん』が
故郷に残した“おふくろ様”(田中絹代)に宛てて
手紙をしたためるように ナレーションが入り
ストーリーが展開していきましたが
やはり ショーケンの圧倒的存在感が
この番組を特別なものにしていました・・・

                  (つづく)